天文の遺跡/旧跡のページ




【中国の天文旧跡】

北京古観象台(天文台)

 昔(1997年頃)北京に行ったときに訪れた北京古観象台です。最近フィルムの整理をしていて発掘されました。
白黒ネガで写したと思ってましたがポジのたばから出てきました。

 北京古観象台の屋上に清の1600年代に製作された天文観測器具が露天で展示されています。
 飛鳥の天智天皇の漏刻臺は時刻を知らせる鐘や太鼓ぐらいしか想定していないにもかかわらず、下図のように大屋根で覆われた復元図となってますが、本家を見ると屋根は全く不要ということがわかります。水落遺跡の発掘からも屋根があった証拠は出ていません。

[飛鳥村・水落遺跡現地説明板より]
 
天文台遺跡 右から左回りに、渾天儀、四分儀、中央が渾天図、左奥から黄道式渾天儀、地平経儀、 方位経緯儀 となります。 写真にはないですが、左側に天文用六分儀、赤道經緯儀が続きます。
屋上へ行くにはこの古めかしい石段を登ります。
日本では建屋を含め木造ですが。漏刻臺の屋上の天文観測設備にもこのように外階段でアクセスしたと考えられます。 飛鳥の頑丈な漏刻臺は唐代の観象台を参考につくられたのでしょう。復元図には外階段は見えませんが、内階段も描かれてません。漏刻に影響を与える温度変化を抑えるために外階段だったと考えられます。

【枕草子 156段】に陰陽寮の漏刻鐘楼の外階段を登るのを清少納言が見上げている記述があります。
『若き人々二十人ばかり、そなたに行きて、階より高き屋に登りたるを、これより見上ぐれば、ある限り薄鈍色の裳、唐衣、同じ色のひとえがさね、紅の袴を着て登りたるは、いと天女などこそえ言ふまじけれど、空よりおりたるにやと見ゆる。』

天文台遺跡
【渾天儀】
 まんなかの筒が天の北極点を向いていて、北極星をこの覗き穴に常に入るようにすることで、北極点を覗きあなの中央に捉え、渾天儀の極軸を北極点に固定することができます。
天文台遺跡
【渾天図(天球儀)】
 渾天図はかつて日本にも伝来しており、漏刻鐘楼が焼けたときに、漏刻とともに渾天図が持ち出された記録があります。
『焼亡之興、火起醤司小屋、焼陰陽寮、(中略) 陰陽寮鐘楼皆焼損、但於渾天図漏刻等具者今取出也』【大治2年(1127)2月(14)、中右記】
天文台遺跡
【天文用六分儀と赤道經緯儀】 天文台遺跡
 一階の展示室には蘇州天文図(淳祐石刻天文図)の拓本も展示されてます。
 また庭には圭表(南中時の太陽の陰の長さを測る装置) も置かれてますが、その頃は興味なかったので写真は撮ってなかったです。。
天文台遺跡
【2019/01/25 北京古観象台追記】


【インドの天文遺跡】

Jantar Mantar(Observatory)


天文台遺跡


 ニューデリーの中心地コンノート・プレイスからSANSAD MG.を数百メータさがった所この遺跡はあります。「地球の歩き方」にも紹介されていますが、95年版の地図に示してある場所は間違っており、もう一区画コンノート・プレスの方に近い区画にあります。インドに行くことがあれば寄ってみることをお薦めします。


 この遺跡はジャイブルの王でもあった天文学者ジャイ・スィンがインド国内に数ヶ所建てた天文観測施設の一つである。大きな日時計や天体の位置を観測する装置からなる。写真の中央にある天に向かって登る階段は巨大な日時計の一部である。階段の一番先の部分が下にある半球形の測定機に影を落とす仕掛けとなっている。


                    


2019/01/25 北京古観象台を追記
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