歴史に現れた天文現象



「星月に入れり」 日本最初の星食記録

ECLIPAで描いた640年3月4日の星食状況   

星食状況  日本最古の星食記録は日本書紀の舒明天皇12年2月甲戌(7日)(西暦640年3月4日)に記された次の記事である。



 十二年の春二月の戊辰の朔甲戌(七日)に、星、月に入れり。


 この記述をもとにこの日の月の動きを計算すると月がアルデバランを掩蔽していることがわかる。星食ソフトSMAPを使用し飛鳥古京(東経135.8度、北緯34.5度)でこの星食を再現すると、飛鳥時間で20時42分頃月にアルデバランが潜入し、21時47分頃再現している。別な星食検出ソフトECLIPAで星食の様子を描いたものが右の図である。また下のSMAPの星食径路図によるとこの星食は中国、朝鮮、日本で同時に見えたことがわかる。ただし、中国、朝鮮の記録には残っていない。尚水色の線の地域は太陽が出ている時に星食が発生していることをしめす。


 この星食の検証は東京天文台の小川清彦氏がされ、それを神田茂氏が1931年の天文月報第二十四巻12号の「六国史時代の本邦の天文記録」の中で発表されている。


SMAPで描いた640年3月4日の星食径路   

星食径路

参考文献
・日本古典文学大系68「日本書紀・下」 岩波書店、1965(1992・第31刷)
・「星の古記録」 斉藤国治、岩波新書207、1982(1993・第2刷)
・「古天文学」  斉藤国治、恒星社厚生閣、1989
1996年12月 1日 掲載


コペルニクスが最初に観測した星食

SMAPで描いた1497年3月9日の星食経路   

星食経路  ヤン・アダムチェフスキ著「ニコラウス・コペルニクス その人と時代」によるとコペルニクスは1496年より1503年の間イタリアに留学している。1497年1月にイタリアのボローニャ大学に入学しているが、1497年3月9日に月によるアルデバランの星食を天文の教授であったノヴェラ教授と伴に観測したそうである。またこれが記録に残るコペルニクスの最初の科学的天文観測であるという。

 イタリアのボローニャ(Bologna)は東経11度20分北緯44度30分。星食プログラムSMAPの計算では星食限界線がボローニャのすぐ南、北緯44度20分あたりをとおっており、ボローニャ地方時にて星食開始22時32分、終了が22時42分とボローニャでは継続時間が約10分の浅い星食であった。

参考文献
・ヤン・アダムチェフスキ著小町真之・坂本 多訳「ニコラウス・コペルニクス その人と時代」NHK出版協会、1973年

PS.SMAPは開発中の星食経路プログラムです。
1996年9月16日 掲載


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