1. 回回暦法書と渋川春海
回回暦法は明朝の太祖洪武帝が洪武15年(1382)に命じてイスラムの暦法を漢訳させた暦法である。この時漢訳された「回回暦法書」は現存しないが、その流れを汲む「七政推歩」(四庫全書)、「朝鮮実録・世宗実録・七政算外篇」及び「明史・暦志・回回暦法」の3書が伝わっている。この3書は様式は違うが暦法の内容はほぼ同じで「回回暦法書」がもとになっているとされる。
「七政推歩」は回回暦法書を明朝の貝琳が補修し成化13年(1477)に「回回暦法」として編纂したもので、その後清朝の「四庫全書」に「七政推歩」と改名され納められた。「七政算外篇」は李氏朝鮮第4代国王世宗の統治の時代(1418~1450)を記録した「世宗実録」(1454)に編纂収録されたもので朝鮮に伝わった回回暦法書を再編したものである。 「明史・暦志・回回暦法」は清朝の時代に史料をもとに暦志にまとめられた回回暦法書で、「七政推歩」より数表が簡略化されており星表も無いなどの特徴がある。「七政推歩」は重版が多かったためか、「七政算外篇」より誤植が多い。
このなかで、「七政推歩」の原本となる貝琳の「回回暦法」を明の周相が隆慶3(1569)頃に重刊した周相重刊本と呼ばれる本が国立公文書館に保管されている。今回上京した機会にカメラ撮影してきたので、以下にPDF版を添付する。国立公文書館の蔵書リストでは「回回暦法」6冊と記載されているが、6冊目は大統暦書である。同時期に小林博行(2014)p.96注38は、貝琳が同時期に刊行したものではないかと推定している。
先述のように「七政推歩」には誤植が多いが、とりあえず星表の誤りを2箇所(雙魚像内第13星、獅子像外第4星)をチェックした結果、「七政算外篇」と同じ値であり、「回回暦法」の原本に近いことが確認できた。回回暦法を研究する場合には、「七政推歩」よりこの書を参照すべき。
この書は江戸城紅葉山文庫の蔵書であり、いつ頃入庫したのかは不明だが、渋川春海の時代にはもう出版から百年経過しており、彼が手にした可能性は高いと考える。
なお1巻目の冒頭にある序文は「譯天文書序」とあるように同時期(1384年頃)に訳された『明訳天文書』と呼ばれる書の序文のようである。例えば東北大学附属図書館 和算資料 画像一覧『回回暦法釈例』では「回回暦法」の後、『明訳天文書』の前に置かれている。この東北大学の写本も内閣文庫本と比べることにより「七政推歩」ではなく「回回暦法」の一巻目の写本ということが分かる。したがって写本も流布されていたことになる。
2. 回回暦星表のエポックについて
このなかで「七政推歩」と「七政算外篇」には月や惑星による掩蔽や星犯の予測のため黄道帯277星の星表がある。イスラム系の星表は通常プトレマイオスの「アルマゲスト」の星表をもとにし、黄経には歳差が加えられているが黄緯は同じ値である。しかし、回回暦法の星表は「アルマゲスト」の星表と比較して黄経差が一定でなく黄緯も違うので、観測に基づいた星表とされている。
藪内清(1950)は回回暦星表のなかの明るい8星を選び現代の星表との比較から回回暦星表の観測年代を1365年前後と推定した。さらに藪内清(1964)では星表にある各星の同定をおこない、藪内清(1969)では「七政算外篇」にある星表の以下の注記をもとに、「已加四分訖」を洪武丙子(1396)に「すでに四分加えた」と読み、この星表は1391年の観測値に4分を加えたものでEpoch(元期)は洪武丙子年(1396)と修正した。
『各像経度毎五年加四分洪武丙子歳七百九十八算已加四分訖至辛巳年八百三算又當加四分累五年加之至放永久』(「七政算外篇」李朝実録第十一冊,世宗実録 第5,p.560)
「各星の経度に5年毎に4分加える。洪武丙子歳(1396)至り積年798年、すでに四分を加えた。辛巳年(1401)に至り積年803年、また四分を加えるべし。毎5年これを加え永久至りつく。」(藪内清(1969)に準じた訳。積年は回回暦法の太陽暦元よりの起算)
この注記については「七政算外篇」のみに記載されていたので、これまで、原本にあったものか、李氏朝鮮で追記されたものか不明だった。今回右写真のように周相重刊本にもこの注記があることが確認できた。 (記載箇所は第5巻24頁目の星表の冒頭。) 回回暦法の原本に記載されていたことが明確となった。
なお、回回暦星表のエポックについては、竹迫忍(2017)p.9で、1391年で、その元になった星表のエポックは1306±16年と発表した。したがって上記注記の訳は以下のように解釈する必要がある。
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「各星の経度に5年毎に4分加える。洪武丙子歳(1396)至り積年798年、すでに四分を加えたほどなく四分を加える。辛巳年(1401)に至り積年803年、また四分を加えるべし。毎5年これを加え永久至りつく。」
「已」の用法として『漢字海』第2版p.442に、『句法2 ②行為や事態が間もなく起きたり現れたりすることを表し、「やがて」「ほどなく」と訳す。現代日本語の「すでに」の意ではないことに注意』とある。
参考文献
小林博行 「『関訂書』にみられる明代後期の中国回回暦法研究について」 科学史研究 269 (2014)
竹迫忍 「回回暦星表の同定とそのEpoch(元期)について」数学史研究 229(2017)
薮内清 「中国に於けるイスラム天文学」東方学報,19 (1950)
薮内清 「中国の天文暦法」平凡社 (1969)
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