宮殿の正方位化の理由と大極殿の伝来


 

    1.はじめに

     一般に7世紀なかばから飛鳥において正方位化が始まったとされているが、「正方位」の内容について検討した資料はない。例えば、6世紀末の飛鳥寺についても正方位の寺と呼び、下ツ道などの直線道が推古朝に敷設された一つの根拠にしている例も見られる。ここでは、正方位の定義と正方位化の理由について考える。
     

    2.正方位化の理由

     7世紀なかばから飛鳥において正方位化が始まったとする文献は多いが、その理由を説明したものはほとんど無かった。しかし、2001年に妹尾達彦著『長安の都市計画』が発表されたことで、「日本における正方位化も中国の天命思想を受容したことが理由」という考えが一部に出てきた。

     それが、林部均著『飛鳥の宮と藤原京』である。同書p.29に「このような中国の思想が新たに伝わり、飛鳥での王宮、王都の造営に強く影響を与えた。」とし、最初で飛鳥で正方位化された王宮は飛鳥板蓋宮(642)とする。しかし、エビノコ郭(672以降)を大極殿に比定するにあたり、p.144で「このように「大極殿」は、天武が中国の天の思想や「大極殿」の思想を意識的に取り入れて、みずからの権威づけのために新たに造営した特別な殿舎であった。」として、同じ理由を大極殿の造営にも用いている。すでに642年以前に中国の天命思想を受容しているのに、その思想の基本の祭殿である大極殿が造営されたのは30年以上もあととしているのである。この理由を説明していないが、斉明天皇時代などに「荘厳化」という言葉を用いているので、天武以前は環境整備に過ぎないという考えかもしれない。また、東西軸の宮殿であるエビノコ郭の宮殿の大極殿に比定も、中国の南北軸の天命思想の理解に問題がある。東西軸の宮殿は北極星の宮殿である大極殿にはなりえない。

     また、奈良県立橿原考古学研究所(2008)『奈良県立橿原考古学研究所調査報告102:飛鳥京跡III』p.229-238の河上邦彦著「4.飛鳥に於ける大型建造物の性格」のなかでは、エビノコ郭(SB7701)を殯宮ではないかとし、内郭内裏前殿(SB7910)を「確かにエビノコ大殿が9x5間で大きく、SB7910が7x4間と一まわり小さいのが気になる。しかし、軒の出等から考えて、床は高く、その空間に合わせた建物として大極殿とする。ただこの頃には大極殿は考えにくいとする古代史家の意見に従うなら大安殿でもよいかもしれない。」とし、天武朝以前から大極殿が存在していたと考え方も同じ研究所内にあることが分かる。また、この時代に大極殿を認めないのも、文献に頼る古代史家であることも分かる。

     いずれにせよ、このような不整合が起きるのは、板蓋宮(642)以前に中国の天命思想は受容したのに、天命思想の基本的な祭祀の舞台である大極殿は板蓋宮には無かったとするからである。そもそも、日本書紀に従えば乙巳の変が起きたのは板蓋宮の大極殿であり、それを根拠もなく否定しているので、初期難波宮の大極殿を内裏前殿と呼ぶなど、多くの矛盾を生んでいるのである。板蓋宮造営(642)以前に中国の天命思想(北辰統治思想)の受容による宮殿の正方位化という事実が明確になった以上、根拠のない「板蓋宮大極殿の編纂者潤色説」はそろそろ無視する時である。
     

    3.中国の考古学者の日本の大極殿に関する見解

     中国社会科学院考古研究所の王仲殊著「唐長安城および洛陽城と東アジアの都城」に日本の大極殿に関する見解があったので紹介する。

    p.413『唐長安城の宮城は「太極宮」、その正殿が「太極殿」と呼ばれていた。これは当時における日本の都の宮城内に置かれた正殿としての「大極殿」の名称の由来である。660年代、唐の皇帝が太極宮から新しい大明宮に移り住んだため、大明宮が太極宮に取って代わって長安の政治の中核となった。大明宮の正殿は「含元殿」と称され、その特徴として、高い基壇の両側に「竜尾道」と呼ばれる階段が設けられていた。日本の平城京および平安京の宮城内の正殿である大極殿も高い「竜尾壇」あるいは「竜尾道」という基壇の上に建てられていた。これは疑いなく唐の長安の大明宮含元殿の形をまねて造ったことになる。しかし、日本の宮城の正殿は「含元殿」ではなく、ずっと「大極殿」と呼ばれていた。要するに、「大極殿」という名称の採用は660年代よりも以前だったはずである。660年代以降、唐の長安城において、大明宮及びその正殿である含元殿が新たな最重要宮殿となったが、この時点では日本の「大極殿」の命名はすでに行われていたため、この名称が日本の宮殿制度の伝統としてその後もずっと受け継がれたのである。

     周知のように、犬上御田鍬を大使とする第一回の遣唐使は貞観五年(631年)に唐王朝の京師長安を訪問し、唐の太宗に謁見したが、謁見は必ず太極宮の太極殿で行われた。これこそ日本の宮城内の正殿を「大極殿」と名づけた最も重要かつ直接的な理由であろう。『日本書紀』に「大極殿」という名称が初めて現れるのは皇極天皇四年(645年)の記載の中である。当時、日本はまだ正規な都城を有していなかったが、天皇の住まいである飛鳥の板蓋宮は国の政治的中枢としての役割を果たしていた。『日本書紀』の中で、この板蓋宮については「十二の通門あり」云々のやや誇張しこじつけたような表現もあるが、正殿を「大極殿」と称したという記載には、それなりの信憑性があると思われる。

     王仲殊氏も、大極殿の思想は第一回の遣唐使で伝来したと推定しているわけである。なおこの論文は千田稔編「東アジアの都市形態と文明史」国際シンポジウム ; 第21集, 国際日本文化研究センター(2004)に掲載されている。

     そもそも唐・新羅連合軍による百済滅亡(660)から遣唐使再開(702)までの日唐関係は最悪の時期で「不通」だった。逆に天武天皇は新羅との関係を重視していた。たとえば、続日本紀に、則天武后の即位(684)により国名が周に替わっていたことを、遣唐使(702)により知ったと記載している。これほど唐の情報は入っていなかった。普通に考えて、このような時代に、敵国である唐の太極殿のような王朝儀礼の情報を入手し、それを日本の宮に導入することはできない。天皇号についても同様である。これらは、すでに第一回の遣唐使の舒明天皇の時代に導入されていたのである。

     

    4.正方位の偏位の範囲を北極星の方位線で確認

     図1が北極星HR4893と28宿の距星を用いて方位を測定した場合の方位線と発掘された古代遺構の方位である。この点線のある範囲が北極星で測定できる方位の範囲である。したがって、これの限界点や外れている、飛鳥寺(回廊)、大津京や恭仁京の造営方位は別の方法が用いられたことになる。これにより正方位の範囲は真北±約40分程度の範囲となる。なお、飛鳥寺中心伽藍の中軸線の方位は真北とされており、太陽を用いたインディアンサークル法で測量されたと考えられる。飛鳥寺はその方位により、方位測量法が違うことが明確であり、大和の3古道との関係も無いということになる。

     現時点では、639年頃の百済大寺(吉備池廃寺)以前に正方位で造営されたものはない。したがって、天命思想による北極星による方位測定法は舒明天皇の時代に渡来したと考えられる。

    図1 古代日本の都城の方位と北極星による方位線

    5.平安京では大極殿消失後も大嘗祭は大極殿跡で行われていた

     大極殿は1177年(安元3年)に起きた安元の大火による焼失ののちは再建されることなく廃絶したとされている。しかし、山田邦和同志社女子大学特任教授は2024年3月23日にXへ次の投稿をしている。

      『大嘗祭は大極殿はじめ平安宮八省院(朝堂院)の建物が全部なくなってしまった後も、草原になってしまっていた八省院跡で実施され続けた(室町時代中期まで)。このことは拙稿「中世天皇制と都市京都」(『歴史評論』No.836「特集中世天皇制研究の成果と論点」、2019)で分析しました。』

     すなわち、唐の都城・長安では、660年代に大明宮が造営され、宮殿機能が太極宮から大明宮へ移ったが、皇帝の即位式のような、天命思想に関わる儀式は唐末まで、太極宮の太極殿でおこなわれた。これと同様に、日本の平安京では、大極殿が消失したあとも、数百年間その跡地で行われていたことになる。

     日本の歴史学/考古学は大極殿の形式にこだわるあまり、日本における大極殿の起源に加え、その終焉も見失っていたことになる。すなわち、宮城の南北中心軸上に、大極殿と想定される正殿は、もうそれは大極殿なのだ。なぜなら、そこに大極殿がなくなったとしてもそこは宮城/都城の中心地であり、天皇が即位する場所なのだから。
     当然ながら、南北中心軸線上にない、エビノコ郭の正殿などは大極殿ではない。

    6.まとめ

     今回改めて正方位の意味を考えたが、根拠のない「板蓋宮大極殿の編纂者潤色説」が発掘成果の考察に大きな悪影響を与えていることがわかった。

     また、発掘報告書等では1度程度ふれている時も、ほぼ正方位と表現されているものがあるようであり、発掘時にはしっかりとした造営方位を計測し、発掘報告書に記載して欲しいものである。


2024/10/30 項目5平安京の大極殿を追記。
2023/10/11 飛鳥寺の内容修正
2023/10/09 項目3王仲殊氏の論文内容追記。
2023/09/13 掲載

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