日本の『天皇』号は道教が起源ではない


     
    1. はじめに

       中国の唐の高宗(在位:649-683)は 道教の影響で「天皇」と称した(上元元年(674年)8月)。このために、日本の天皇号も道教の影響であるという説がある。しかし、それは名称が同じというだけの根拠のない誤った解釈である。道教の『天皇大帝』が起源というのも同類の話である。

    2. 古代日本に道教は伝来していない

       日本の皇室が道教を崇拝したという記録はない。逆に『唐大和上東征傳』には、次の記述がある。
       天宝12(753)年の遣唐使による鑑真和上の招聘に対し、玄宗皇帝は道教の僧侶である道士を日本に伴う事を求めた。これに対し、使節は『日本君王先不崇道士法』(日本の君王は、いまだ道教を崇(あが)めず)と返答し、皇室が道教を崇めていないことを名言し、道士の帯同を拒否している。もし、日本の『天皇』号が道教から採られているのであれば、道教思想がすでに皇室に浸透していることを示し、道士の来日を拒む理由はない。

       この状況を『试论8世纪中期日本朝廷拒绝道教的原因』ではこうまとめている。
       『要約すると、8世紀初頭の日本の宮廷にとって、道教は、唐王朝の秩序を代表する唐王朝の祖先信仰であり、唐王朝の国教であるだけでなく、それは、天皇制、国家仏教、および法制度の確立に資するものではありませんでした。日本と唐の間の独立した対等な外交を維持するためであれ、日本の天皇制を中心とした法体制の構築を強化するためであれ、道教の導入は有益というよりもはるかに有害でした。したがって、8世紀半ばの日本の朝廷は、道教の僧侶と道教の公式な導入を断固として拒否しました.その後、仏教と儒教は日本の政治とより密接に統合され、王朝の支配者の保護の下で強くなりました. 道教が公式に輸入される機会はなく、古代日本に、道士、道教寺院、または道教の宗教団体が存在したことを証明する資料もありません。』(Google翻訳+修正)

       日本の古代に道教の存在は否定されている。


2022/09/07 掲載

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