『知られざる古代』のインディアンサークル法の実験を検証する


     
    1. はじめに

       水谷慶一著『知られざる古代 謎の北緯34度32分をゆく』(1980)p.318-320には,愛知県の堀坂山(標高757m)と麓の松阪市丹生寺町を結ぶ約5キロメートルの間で行われた,インディアンサークル法で東西線を求めるの実験(1979年12月16日)の概略とその結果が紹介されている。この実験の結果は,そのずれが20.6m(13分45秒)であり,その後このような実験が行われていないこともあり,インディアンサークル法で高精度で方位が求められる例として引用されている。しかし,この記述ではなぜこの場所が実験に選ばれたなどは不明である。このページでは,それら説明されていない点を推理する。

      図1 概略図(Google earth proより)

     
    2. 堀坂山の実験地点の推定

       堀坂山の三角点の位置は国土地理院のページから北緯34度32分48秒,東経136度25分58秒( 34.546667 , 136.432778 )である。実験結果としては,測定点は三角点を平行に延ばした東西線より約1m北になったとあるため,堀坂山の山頂では三角点より南に19.6m(=20.6m-1m)の地点に測定開始点があることになる。
       また記述には,描いたインディアンサークルは直径2mであり,そこで求めた東西線の先3mに照準点を設けたとある。この記述にしたがって,測定開始点は三角点による東西線から19.6m南で,山頂の淵に求めた。位置としては34.546490,136.432950の位置である。右図2の下のポイントとなる。
      注:標高が高いため,影像では実際の位置とはずれている可能性もある。しかし,位置関係は変わらない。
図2 堀坂山山頂(Google earth proより)

     
    3. 丹生寺町地点の推定

       記述には,測定開始地点から丹生寺町地点までの斜距離を4994.8mとある。これはレーザで直接測定しているので正確である。堀坂山の標高は757m,丹生寺町は37mなので,標高差は720mとなる。したがって,地図上の直線距離としては4942.6mとなる。開始点(34.546490,136.432950)から真東に4942.6mの地点の場所は,34.546478,136.486797となる。右図3の下のポイントである。
       右図3でオレンジが測定点から真東の線,黄色が三角点から真東の線,赤色が実験で13分45秒振れた測定線である。

       この図から,実験時にはオレンジの縦の線に沿って人が布陣されていて,赤の測定線はそのほぼ最北端だったことがわかる。逆に考えると,三角点を東に延ばした線では,北に振れた場合に対応できないので,堀坂山の測定開始点を南に最大の約20m移動した。これは事前のマップサーベイで行ったのだろう。
       当時の航空写真を見ると測定場所を数十メートル西に移せば,三角点を中心に測定も可能だったと思われる。ではなぜこの窮屈な場所にこだわったのか?
図3 丹生寺町地点(Google earth proより)
図4 1979年の現場付近の航空写真(カシミールより)

     
    4. 丹生寺町地点の測定地にこだわった理由

       そのこだわった理由は水谷慶一『知られざる古代』(1989,日本放送協会)p.199-200から推定できる。『きれいに刈り取られた冬田の中に,レーザ光線の反射鏡が据えられ,そこが国土地理院の測定位置であることを示していた。眼を移すと,やや離れた田んぼの隅にホーキの柄のような竹棒が立っている。それが,松坂高校の古代式方式による測定位置だった。しかし,本当に驚愕したのはその直後である。竹棒のすぐわきの道をへだてて子どもの背ぐらいの石碑が立っていたのだが,なんと,そこに「大日」の二字が彫ってあるではないか。・・・』
       「子どもの背」ぐらいの石碑がGoogleマップで見つかるか心配だったが,その心配は無用だった。それは常夜灯まで備えた区画に鎮座している大きな石碑(34.546794,136.486797)だった。「子どもの背ぐらいの石碑」は普通その右に3個ある石碑ぐらいをいうのだが・・。場所としては,図3の縦のオレンジ線の北端の区画になる。『知られざる古代』(1989,日本放送協会)p.197には,堀坂山の8合目と山頂には大日如来の仏像が安置されていることが書かれており,古くから大日如来の信仰の山であったことがわかる。
       これにより,この窮屈な場所で実験を行った理由は,この実験の終点が最初から『大日』の石碑だったからと推定できる。この石碑から南におろした南北線に人員を配置していたのである。
図5 『大日』の石碑(Google マップより)

     
    5. この実験の目的

       以上のことより,まずこの実験の前提として,大日如来の信仰の強い堀坂山々頂の真東の方向に『大日』の石碑が祀られていることが最初から分かっていた。その方位測定の手段の一つとしてインディアンサークルによる方法で検証したと考えられる。このことはなぜか伏せられているが,多分『大日』の石碑の建立が古代にくらべ比較的最近で,本の主旨に沿わなかったからだろう。
       また,開始点を山頂の中央(三角点)とした場合,北への振れが対応できないので,南に最大限の20m移動した。これは誤差の範囲を最初から最大20m(約15分)程度と想定していたことになる。たとえば,誤差がこの倍あったときには,確実に人家に入ってしまっていたことになる。また真東の方向や,この実験での誤差の許容範囲も実験者がある程度把握していたので,実験の方法としては不適当と考えられる。実際『知られざる古代』(1989)p.199-200に書かれているように,測定した結果は布陣した「田んぼの隅」であり,最北端だった。このような状況で行われた実験だった。

     
    6. 実験の詳細

       約14分という正確な実験結果が得られているにもかかわらず,その実験方法は不明な点も多い。水谷慶一(1980) p.318には,以下の手順が記述されている。
       『頂上は東西方向がせまく,直径約2メートルの範囲を目測で水平にならし,約60センチメートルの棒を立てて東西線を割り出した。その線の西端に測定者が見通す照門の細い棒を立て,そこから約3メートルのところに麓の真東と思われる点を見つける照星のための線香を立てる台を設けた。麓では同様の方法によって,かがり火を持った者が移動するときの基準にする南北線を設定した。 夕暮れを待って,頂上と麓とはウォーキートーキーで通信しながら,照門のための棒と照星の火をつけた線香と目標の麓のかがり火とが一直線に重なるようにして,頂上から真東と思われる点を決めた。』とある。以下がそれを図示したものである。


      図6 実験の構成

       水谷慶一(1989)p.199にはその時の高校生たちが影に印をつけているところと,東西線を引いた後の2枚の写真がある。この写真には,南北線から木製の三角定規の30度の向きで,棒の影が半径1メーターの円に交わっているとことが写っている。
       この写真から推定すると影の長さが1mになったのは,10時と14時ごろと考えられる。これから逆算すると,棒の長さは50cm弱となり,約60cmの棒という記述は誤りである。またインディアンサークルから得られた東西線の長さは1m (1mxsin(30°)x2)ということになる。

     
    7. 実験の構成/手順での問題点

       1) 照門と照星はライフルなどの銃の,銃の根本にある凹んだ部分と筒の先にある出っ張りを指し,照準をあわせるものをイメージしていると思われる。しかし,照門と照星の資料はなにもない。照門がただの細い棒であれば,目の位置が固定されず厳密な測定はできない。±20分の結果を想定する実験であれば,照門には目の位置が固定される円筒などを用いる必要があった。
       2)照星を,インディアンサークルで得た1mの東西線からさらに2m延長したところに置いているが,この延長した理由が不明である。この延長により誤差が増える(若しくは減る)ことになる。またどのような方法で延長したかも明記されていない。したがって,得られた結果は純粋にインディアンサークルで得られた結果ではない。また照星は高低差(約700m)を吸収するために高さの調整をおこなったはずであるが,その方法も明記されていない。
       3)インディアンサークルや照準の棒及び照星は垂直に立てないといけないが,その方法がなにも明記されていない。
       4)実験が行われた季節ではほとんど影響はないが,インディアンサークルの場合には季節により,太陽の赤緯の影響がある。冬至や夏至のころにはほとんど影響はないが,秋分のころには真北から東へ約5分振れる(10AM⇒2PMで)。春分はその逆である。

     
    8. まとめ

       この実験はインディアンサークルでも高精度の結果が得られる例として参照される場合があるが,上記検証したように,インディアンサークルを評価した実験とするには,それを検証するための機材や方法の記載がなにもないことが判明した。


2021/05/22 図4追加及び修正
2021/04/23 項目6/7/8追記
2021/04/22 掲載

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