2. 定説「上ツ道は安倍山田道と横大路で交わる」の検証



 

1.はじめに

 上ツ道は大和三古道の一番東の直線道路である。上ツ道は最南部で大和平野の南部を東西に横切る横大路と交わる。その後,同じく横大路と交わる安倍山田道で飛鳥に入ると説明されている。それを説明する図は,上ツ道と安倍山田道が横大路直線的に交わるように描かれている。
 安倍山田道路は図1のように安倍寺と山田寺の前を通る古代からの道である。600年代はじめに隋の使者が飛鳥に入った道もこの道とされている。

 現在発掘調査で特定されている道の経路は,上ツ道が箸墓の北部,安倍山田道が安倍寺跡の前の2箇所のみである。この点をもとに,上ツ道を南下させ,安倍山田道を北上させた場合,この図でも分かるように,2つの道は横大路では交わらない。

図1 上ツ道と安倍山田道

[Google Earth Proより]


2.上ツ道は安倍山田道と横大路で交わらない

 図2は終戦直後の米軍の空中写真で安倍寺付近を拡大した図である。この図のように,上ツ道と安倍山田道の間は120m程度離れている。現在の復元図では黄色の点線のように,安倍山田道を上ツ道に接続するように,山沿いを這わせたものが多いが,あくまで復元図であり,発掘結果によるものではない。しかも,この通りであれば,安倍山田道も下ツ道から2118mx2倍の位置に設置されたことになり,この道も大和三古道と同時期に敷設されたことになるが,その可能性は限りなく低い。この黄色の点線の道があったとすれば,それは上ツ道の敷設時に造られた,安倍山田道への接続道でしかない。

 

図2 安倍寺周辺の上ツ道

[国土地理院・米軍写真より]

3.測量起点はどこか

 図3は上ツ道路上での,横大路を越えてからの標高である。図2の黄色の点線での屈折部分から300mほど南の所に高低差20m程の丘があり,ここから上ツ道の測量を行ったと考えられる。

図3 上ツ道終端付近の標高図

[Google Earth Proによる]

4.まとめ

 定説「上ツ道は安倍山田道と横大路で交わる」を検証したが,上ツ道は安倍山田道と横大路で交わらない可能性が高いことが判明した。古道に関連して定着している定説は確認してみる必要がある。

 上ツ道は横大路上で下ツ道から2.118kmx2の間隔で敷設されたと推定されているので,敷設は古い順に以下と推定できる。
  @安倍山田道(推古朝)
  A横大路(?)
  B下ツ道(斉明朝,定説1の検証より)・上ツ道(斉明朝,下ツ道と同時期)

 



2021/06/04 UP
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