「中ツ道・村屋神社付近の発掘実績」



 

1.はじめに

 中ツ道については北部では発掘実績があるが,南部ではまだない。その中で村屋神社付近で2002年に発掘が行われている。中ツ道は発見されていないが,中世の南北の素掘小溝5条が発見され,「間接的ではあるが、付近に素掘小溝の地割りを規定した中ツ道が通っていたことを想定させるからである。」としている。

「田原本町埋蔵文化財調査年報12 2002年度」田原本町教育委員会(2013)p.27より

図1 発掘地点の図

[報告書p.27より]


2.中ツ道のルート

 図1及び図2より,中ツ道は発掘地点から南に続く現在の道ではなく,その西か東を通っていたことになる。 報告書では「調査地の東半となる第1トレンチ付近は、中世段階には落ち込んでいたと考えられ、近代の屋敷地はこれを造成して広げられている。」とあるように,中ツ道は実ルートである発掘地点の西側を通っていた可能性が高い。

 井上和人(2005)p.182は図の緑のルートを中ツ道と想定しているが,発掘では検出されなかった。

参考文献
井上和人 「平城京下層中ツ道の検証」 飛鳥文化財論攷 (2005)

 

図2 Google Earthでの発掘地点付近

[Google Earth Proより]



2021/07/03 UP
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