3.まとめ
定説「中ツ道は京道地割を通っていた」を検証したが,京道は中ツ道ではなく,平城京の坊路の跡であることが判明した。
想定中ツ道と京道の間隔は東西に約153m離れている。横大道から平城京の入り口まで約15kmなので,下ツ道より約35分も西に振れていることになる。下ツ道は真北より約24分西偏なので,中ツ道は約1°真北から西に振れていることになる。
しかし,約153mのずれのうち約33mは平城京との接続路,約88mは藤原京との接続路で発生している。したがって,中ツ道は横大道から平城京の入り口まで約32mしかずれていないことになる。これにより,中ツ道が下ツ道より振れているのは8分弱だけである。そして,この下ツ道や上ツ道との8分弱の方位の違いが建設年代が違うことをしめしている。
中ツ道の西への大きな振れは工事の精度とされているが,実際にはその大部分は藤原京と平城京への接続路で発生している。中ツ道が西へ大きく振れているという誤解は,藤原京や平城京の坊路が誤って中ツ道と認識されていることによる。中ツ道は建設年代が違う下ツ道を基準とした藤原京や平城京の条坊路とは「当然」食い違うのである。