日時計を識る(日影台の日時計を考える)




漏刻と同じ古代の時計である日時計についてちょっと調べてみた。
そこで沖縄首里城の日時計にからめて日時計の簡単な説明。


<沖縄首里城の日時計>
 沖縄首里城の日影台に復元された日時計にはこんな説明がついている。
『首里王府時代、首里城で正午及びその前後の時刻を計ったといわれている日影台(日時計)。 日影台は、水時計の補助的な道具として古くから使用されてきた日時計ですが、1739年に蔡温という役人が国王の命令により、約1年半をかけて正確な測定法を発明、改正したといわれています。 時刻を正確に測るため、二十四節気に基づき年に24回角度を変更していたそうですが、現在の首里城では春分・夏至・秋分・冬至の年4回変更しています。ただ角度の変更方法ははっきりと分かっていないので、春分・秋分は45度、夏至は64度、冬至は10度のアルミ板で角度を変えています。 』

日時計の基礎を識る前だったらこの説明に疑問も無かったはずだが、この説明なんかすっきりしない。


<地面に水平な板に垂直に棒を立てた日時計> [日本では"柱日時計"、英語では"plekhnaton"と呼ぶようだ]
 太陽の方位を考えた場合、夏の午後4時の太陽の方位と冬の午後4時の太陽の方位は違う。したがって地面に水平な板に垂直に棒を立てた日時計の目盛盤を考えた場合、同じ目盛盤が使えない。このタイプの日時計は通常は正午の太陽の南中時刻の測定と日の出日の入りの方位の測定に使われたと考えられる。したがってこのタイプは日時計としては実用的ではないので、日時計の基本であるはずが日時計の説明でも省かれており、日時計初心者にはなぜ棒を傾けるのか混乱する理由でもある。このタイプは時刻の目盛盤が複雑なので公園などに置かれることはあまりない。オベリスクなどがこのタイプである。


   <オベリスク>

 
<地面に垂直に棒を立てた日時計の季節による影の動き>
 下のグラフは座標の原点(0,0)に2mの棒を立てた場合の明石での一ヶ月間隔での影の動き。エクセルで曲線が引けないので分かりづらいが、一番内側が2018の夏至(6/21)の動きで、一番外側が冬至(12/22)一日前の動き。秋分では直線に動いている。なお均時差を補正して各日の正午に南中させている。
 図から分かるように、同じ時刻の棒先の影は直線を描くが、原点から見た角度は違う。したがってこのような棒を垂直に立てた日時計で時刻を図る場合は前もってこのような季節で違う時刻盤を作成しておく必要がある。当然ながらこの時刻盤は日時計の置かれる緯度で違ってくる。またこのタイプの日時計では、太陽高度が低い範囲では棒の影が長くなり時刻盤をはみ出てしまうので、日の出日の入りの時刻付近(太陽高度10°前後まで)の時刻は測れない。


<垂直に棒を立てた日時計>
したがってこの形式の日時計はこんな季節に対応した幅広の時刻盤を持った日時計になる。
ただしこれは壁面型なので上の計算とは夏冬逆になる。また対称でないのは標準時との差か壁の向きの補正と思われる。

 

荒川紘 「日時計=最古の科学装置」海鳴社(1983)p.18のポンペイの出土品に同じ形式のものがある。


   <ポンペイ出土の日時計>

 

<アナレンマ式日時計 (analemmatic sundials)>
 垂直に棒を立てるものとしてはアナレンマ式日時計 (analemmatic sundials)というもがあり、季節により時刻の角度が変わるのを補正して、時刻盤は固定して棒を立てる位置を季節により移動させる日時計のようだ。


 (写真はhttps://commons.wikimedia.org/wiki/File:Anal_stellingw.jpgよりリンク)


<地面に水平な板に北極星に向けて棒を立てた日時計・水平式日時計(Horizontal sundial)>
 棒を地表から緯度の分だけ傾けた日時計は公園なので良く見るタイプである。影を作る棒の方向が地軸と一致するので、夏の午後4時の影と冬の午後4時の影が同じ方向に落ちるので、季節によらず同じ時刻の文字盤で時刻が測れることになる。
 しかしこのタイプの日時計の時刻tにおける影の落ちる真北からの角度θ°は、日時計の置かれた緯度をφ°とするとtan(θ)=sin(φ)×tan(15 × t)で計算される。例えば緯度を北緯35°とすると、正午からPM1時までの棒の影の動く角度が約9°に対しPM5時からPM6時までの動く角度は約25°にもなる。したがって沖縄日影台の日時計のように15°/時の等間隔の時刻盤にはならない。下の写真からも時刻の間隔が違うのが分かる。

 
   <水平式日時計>
  
 


<壁に板を置き北極星に向けて棒を立てた日時計・垂直式日時計(Vertical sundial)>
 水平式日時計を壁に取り付けたものであるが、棒は地軸と平行に北極星にむける。ヨーロッパでよく見る日時計である。水平式と同じく影を作る棒の方向が地軸と一致するので、季節によらず同じ時刻の文字盤で時刻が測れることになる。
 このタイプの日時計の時刻tにおける影の落ちる真北からの角度θ°は、日時計の置かれた緯度をφ°とするとtan(θ)=cos(φ)×tan(15 × t)で計算される。水平式に較べsin(φ)がcos(φ)に変わっている。したがって緯度が低ければ時刻間隔にあたえる影響が少ないというメリットもある。壁に取り付けるので真南に向いた壁なら東西線より太陽が北にある時間帯には日はあたらないことになる。

 
   <垂直式日時計>
  


<板を(90°−緯度)傾けて赤道面平行に置き北極星に向けて垂直に棒を立てた日時計・赤道式日時計(Equatorial sundial)>
 これは最初の日時計を北極星に向けて傾けたもので赤道式日時計と呼ばれ、影は季節によらず15°/時の等間隔で落ちる。問題は春分⇒夏至⇒秋分の間は太陽の赤緯が高いので影は板の表の面に落ちるが、秋分⇒冬至⇒春分の間は太陽が板の裏面側にあるので文字盤と棒を裏側につける必要がある。したがって赤道式日時計は裏表の両面に日時計がある。
日本語では独自に「コマ型日時計」と呼ばれているようだ。
   <赤道式日時計>
 
<沖縄・首里城にある日影台の日時計を考える>
以下は首里城公園の説明会の資料より
『首里王府時代、首里城で正午及びその前後の時刻を計ったといわれている日影台(日時計)。 日影台は、水時計の補助的な道具として古くから使用されてきた日時計ですが、1739年に蔡温という役人が国王の命令により、約1年半をかけて正確な測定法を発明、改正したといわれています。 時刻を正確に測るため、二十四節気に基づき年に24回角度を変更していたそうですが、現在の首里城では春分・夏至・秋分・冬至の年4回変更しています。ただ角度の変更方法ははっきりと分かっていないので、春分・秋分は45度、夏至は64度、冬至は10度のアルミ板で角度を変えています。』

 日時計の形式の違いによる日時計の特徴を理解したうえで日影台の日時計を考えてみる。
 ・もとの文字盤を元に復元されたと考えるので裏面に時刻盤は無かったと思われる。
  したがってこの日時計は赤道式日時計では無い。
 ・季節により傾きを調整しているが、赤道式日時計の原理からすると、
  日時計の板を(90°−緯度)以外に傾けることは誤差しか産まない。

 以上をもとに大胆に推理すると、この日影台の日時計は最初は水平式日時計として造られ、漏刻の調整用に太陽が南中する正午の時刻と日の出、日の入りの方位を測り季節を測るものだったと考えられる。しかし、時刻が時刻盤の表示と合わないのは都合が悪いので漏刻の時刻で校正してみたところ、表示版を傾ければ誤差が少ないということを発見、若しくはその情報をどこからか仕入れた。しかし秋分以後の冬の期間は影が表面に落ちないので、冬でも表に影が落ちるように表示版の角度を調整するようになったと思われる。矢袋喜一「琉球古来の数学と結縄及び記標文字」(大正4初版、昭和9再版)p.99には、夏至から冬至の間に垂直から水平まで傾きを変えていたという伝承があるので、途中からは傾ける意味さえわからなくなってしまっていたと思われる。夏至に垂直という伝承も明らかに間違いで、文字盤は北面しているので垂直に立てたら昼の間は日があたらない。また同p.97にある当時現存していた文字盤は135cmx60cmぐらいの1枚板とされていて、復元されているものはこの板から50cmぐらいの円盤を分離したものと思われる。したがってこの復元は史実にはもとづいていない。
 
現状の角度春分・秋分は45度、夏至は64度、冬至は10度の検証
那覇の緯度はほぼ北緯26°なので、赤道式日時計とするためには北極星に棒を向けた場合の文字盤の角度は26°にしないといけない。なのでいずれの期間も時間は合っておらず、赤道式日時計として機能していないことになる。秋分⇒冬至⇒春分の間はこの角度では日が当たらないので、日が当たるように角度を下げていることになる。復元時にできるだけ精確に動くように検討したと思われるが、精確にするには上の故宮の写真にある日時計のように裏面にも刻む必要がある。しかし、遺物にその跡はなかったのでそこまでは出来なかったと思われる。
 


<日時計の誤差の原因と補正>

日時計の時刻と腕時計の時刻が違う場合、その理由は以下が考えられる。
<1> 構造的問題: 水平式日時計で棒の傾きの角度(緯度と同じ)が違いが正しく北極星を向いていない。
          赤道式で時刻盤の傾き(緯度)が違う。
<2> 設置の問題: 棒が真北を向いていない。方位磁石で設置した場合など。方位磁石の磁北と真北では差がある。
<3> 日本標準時との違い: 日時計の設置場所が明石(西経135°)の東(進む)か西(遅れる)で時刻がずれる。
          例えば西経130.56°の鹿児島市では経度差が−4.56°あり約18分[4.56/15°×60(分)]遅れる。
<4> 季節の違い: 地球が楕円軌道をしているためみかけの太陽の運動が変化するため時刻がずれる。(均時差という) 
          赤道面と太陽が通る黄道面の傾きが時代により変化するため年代によっても若干変化する。
          例えば現代の7月のなかばだと下のグラフより約6分遅れていることになる。 

<均時差のグラフ>

日時計の時刻の補正 
 例えば鹿児島市の7月なかばでは、標準時からの遅れ約18分と均時差の遅れ約6分の合計約24分遅れているので、
 12時24分頃に正午の目盛りに影が落ちる。補正が何もしていない日時計では日時計の読みに24分加える必要がある。
 
<日時計の呼び方について>
日本語版Wikipediaの日時計の呼び方は混乱してます。英語版Wikipediaがまともです。英語版Wikipediaの日本語訳
・「水平式日時計(Horizontal sundials)」のことを日本語版Wikipediaでは「庭日時計」の項目で説明し、文章の中で「日本語では水平式日時計という。」と訳のわからない説明となっている。実際「庭日時計」は庭に置かれている日時計という意味と思われるが、庭に置かれれば何でもこの形式に当てはまってしまう。またこのタイプを「平面式日時計」とよんでいる本もあるが、赤道式も文字盤は平面なので混乱を招く。
・「赤道式日時計(Equatorial sundials)」のことを日本語版Wikipediaでは「コマ形日時計」としている。このタイプは「こま」に似ているので日本ではそう呼ばれているみたいですが、「コマ形」と知っている日本人にしか通じない。
「コマ形日時計」と呼ぶのは子供相手に説明を省くためと思う。やめたほうが良い。
・「球状式日時計(Spherical sundials)」を日本語版Wikipediaでは「赤道式日時計」と呼んでいます。「赤道式日時計」の文字盤は平面なので、これはほぼ間違いに近い。このタイプには時刻版が半球のものや、輪切りにした円環だけのものもある。これは赤道式日時計の文字盤を平面から半球状にしたもので、赤道式日時計の一種でありながら同じ文字盤で夏冬共通に使えるようになっている。半球式は先端が落ちる場所により季節も分かるような目盛りになっているようだ。

 
         半球式日時計   円環式日時計(目盛が等間隔なのが分かる)


<いろいろな日時計>

昔フーブルで撮った日時計の写真。これも球状日時計の一種で「屋根付き日時計」と呼ぶらしい。
(荒川紘 「日時計=最古の科学装置」海鳴社(1983)p.19)


                    


2023/11/06 日影台の内容修正
2019/02/16 日影台の内容修正追記
2018/07/25 ルーブル追記
2018/07/22 誤差と補正追記
2018/07/21 写真等追加
2018/07/20 Up
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