古代の都城と古道を巡る旅 7日目:藤原宮と下ツ道の始点を巡る(16km)


 

いよいよ最終日

 帰りの便が夕方5時過ぎに伊丹ということで、午後1時過ぎには橿原神宮駅前に戻ることが今日の制限。8時過ぎにホテルをチェックアウトして、駅のコインローカーに荷物を預けて、8時半頃に出発。このDAIWAホテル、温泉が付いていて、この極寒期に毎日朝風呂でらくちん生活だった。(漢字ではやまとホテルとなるのでローマ字表記。)

 今日のラフな予定は、ホテル近くの『軽のちまた』の交差点からバス通りを東に行って、まず舒明天皇の『田中宮跡』を訪問し、『藤原宮・大極殿跡」へ。その後『天香久山』に登り、昨日日没で撮れなかった『三輪神社』を再訪問。そして、耳成山の北側を通って、下ツ道の当初の起点だった、『太子道の交差点』へ。その後『札の辻』を見て、電車で橿原神宮前駅に帰ってくる予定。結局、八木西口まで12km余り。時間が4.5時間ぐらいの行程だった。


『軽のちまた』

 『軽のちまた』も今日が最後。ホテルもこの大和系列の資本がはいったのか? この下ツ道に直行する、古代では『安倍山田道』を東に進む。飛鳥最初の日はこの道を戻る予定だったが、北に折れてしまい、北のバイパスで戻った。


『剣池(石川池)』

 しばらくすると、左側に剣池とされる石川池が。左の山は孝元天皇陵。池のほとりには紀皇女の歌碑も。


『和田廃寺』見つからず

 『和田廃寺』がある当たりで『山田道』を北に折れ、周りを見ながら進んだが見つからず。塔跡だけが田んぼの中に残されていた。

【追記】あとで調べたら、この仏塔跡が『和田廃寺跡』ということになっていた。無駄に探さなくて正解だった。(2023/02/01)


『田中宮跡』

 『田中宮跡』と言ってもほぼ民家のお寺跡。入り口の脇に案内板がある。近くには関係があるとされる竹やぶが。
 なぜ通りから外れたこの場所に宮があったのか不思議ですが、上の地図でみればわかるように、この場所は舒明天皇の時代には官道であった『太子道』がすぐそばを通っていたのです。『横大路』から南の『太子道』は現在無視されてますが、無視すると訳がわからなる事があるのです。


『城殿神社』

 『本薬師寺跡』を探す途中に地域の神社があったのでお参り。


『本薬師寺跡』

 どうにか『本薬師寺跡』を発見。神社の場合は杜に囲まれていてすぐに見つかるが、遺跡はむずかしい。
 本薬師寺は皇后(後の持統天皇)の病気平癒のために、天武天皇が建立したお寺です。日本書紀にはこの時日食も記載されています。大きな木のそばには礎石もありました。


『藤原京・朱雀大路跡』

 朱雀大路の南には小高い丘があり、南に続く大路としては不思議な雰囲気。案内板によると切り通しがされたようです。ここから北をみると、遠くに大極殿跡、その後ろに耳成山が見えます。


『藤原京・朝堂院門跡』

 この門跡の脇に説明板がありました。ここの先に大極殿の柱を再現している場所が見えます。


『藤原京・大極殿跡』

 やはり根本だけの柱ではしっくりきません。ここから南を見たのが下の写真。
 少し前まで大極殿は藤原京で成立したとされていたようです。大極殿は日本起源ではないのですから、大事なのは、いつ中国から伝来したのかが重要です。根拠もなしに、安易に『日本書紀』記載の『板蓋宮の大極殿』を無視する人々の、考え方が不思議です。これを無視するので、『難波宮』『後飛鳥岡本宮』『飛鳥浄御原宮』の大極殿をまとめて無視する、思考停止が起きている。


『橿原市藤原京資料室』

 右の写真の左右の柱の中間にあるのが『橿原市藤原京資料室』だそうだ。ここに藤原京の再現模型が置いてあるようで、私は見逃してしまった。写真は同HPより。


『天岩戸神社』

 『藤原京・大極殿跡』をあとに、天の香具山に登るために東に進む。つきあたりに『奈良文化財研究所・藤原宮跡資料室』があったが、時間がないので素通り。南下して香具山の南の集落に入り、登山口があると思われる『天岩戸神社』へ。しかし、この神社には登山口はなく、北道を引き返し西に行くような道標が。しかし、今地図で見ると、逆の東に進めば、『伊弉冊神社』2社を通る南の登山口があったのではないかと思われる。


天香久山登山口【追記】

 『天岩戸神社』前にあった道標につられて来た道(左)へ戻ってしまった。しかし、詳しい地図を見ると、『向日寺』方向に進めば『伊弉冊神社』2社を通る南の登山口があった。左の登山口は遠回りで、途中の神社も見逃してしまった。何のための道標なのか?


『天香久山山頂・國常立神社』

 仕方がないので、西に戻り香久山西側を北上するみちへ、途中で『奈良文化財研究所・藤原宮跡資料室』先にあった登山口からのぼってきた道にあたり、結局ここから右に折れ頂上を目指すことに。流石にこの山登りでは一人も合わず。『國常立神社』は小さなお社だった。ここが天香久山のほぼ三角点の位置。右側の道は、南の『天岩戸神社』方面に下る登山路。右上の地図で東南方向に降りる道。頂上ここからは視界は悪く、南側で耳成山と二上山だけが見えた。


『天香久山神社』

 山頂からは『天香久山神社』方面の北の登山道で下りた。中ツ道ものびていればこの神社まで来ていたと思われる。近くの池はまだ凍っていた。


『三輪神社』

 『天香久山神社』から北に進み、昨日日没で写真ばブレてしまった『三輪神社』へ。 近くに横大路の説明板もありました。


中ツ道の起点とされる三輪神社西脇のお堂

 中ツ道の起点とされる三輪神社横のお堂ですが、ここには中ツ道は通っていませんでした。ここを通っていたのは、『藤原京・東二坊大路』です。


耳成山の北を通り『市杵島神社』へ

 『三輪神社』から北に向かい、水路に当たったら水路の南側の歩道を西に向かい、『市杵島神社』へ。


『市杵島神社』

 寺川のU字型で囲まれた集落の中に『市杵島神社』はある。境内には加工された巨石もある。


『下ツ道起点』

 『下ツ道』と『太子道は』この左(西)岸で交差している。『下ツ道』の方位はこの地点の北と南で方位が違っている。当初の『下ツ道』はこの地点から北に向けて造営された。下の左は橋の先の交差点の写真。右は橋から北を見た写真でこの左(西)岸の道の下に『下ツ道』があった。


『下ツ道』を南へ

 『下ツ道』と『太子道は』交差点から、『下ツ道』を南に下ると、都会にしてはびっくりするぐらい細い道が続きます。この道を『下ツ道』と『横大路』の交差点の『札の辻』を目指します。


『札の辻』

 『札の辻』に着くと、これも細い『横大路』が交差しています。下の写真は『横大路』の東方向と西方向です。


ここで終了

 この日は時間もないので『札の辻』で終了。『横大路』を西に進み、八木西口で電車にで橿原神宮前に帰った。ちょうど1時半の電車であべの橋、梅田経由で伊丹空港へ。


2023/01/31 掲載

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