カリブの黒い太陽(98年2月26日)



 今回の日食は昨年のモンゴル日食直後より話しが進んでおり、当初は十数人のプライベートツアーになる予定が、最終的には長期滞在型のプライベートツアーと短期4泊6日のツアーに別れて出発することになった。我々は短期のツアーに参加することにしたが、アルバ島には1日半しかいられないのがつらい。また、前回のモンゴル組みの中にはアンティグアやベネズエラに出かける方々もいた。

ECLIPSE

2月24日(火)出発の日

 午前中は会社、昼休み走ってから帰ろうかと思っていたが、雨の為さっさと帰るつもりが、海外からの電話で昼休みなかばまで時間をとられる。一度家に帰ってから横浜2時半発のエアポート成田で空港へ。空港まで2時間かかるが、2千円もかからずに成田までつけるのは便利。16時38分成田着、17時ちょうどに団体旅行の集合場所に着く、もう皆さん集まっている。ツアー参加者は老若男女の17名。

 成田の第一ターミナルは工事中で大回りでゲートへ。19時発のAAのシアトル行きへ乗り込むと、席は中列5列の真ん中、最悪の席。トイレを我慢してシアトルまで、これが団体旅行のつらいところ。考えてみると団体ツアーはこれが初めての参加、でも回りは日食旅行2回目や初めての人でなかなか悪くはなさそう。

 朝11時シアトル着。今回は定員に満たないとのことで、添乗員無しのツアー。天文インストラクターさんが急遽、ツアーコーディネーターに押し上げられた模様。米国入国手続きを済ませた後コーディネータさんについてバスで国内線ターミナルに移動する。バスの乗り口は飛行機のゲートと同じで知らない人は戸惑いそう。

 シアトルからは昼12時半発の国内線にてマイアミへ。今度も左側の真ん中の席。国内線はアルコールが有料、4$払ってビールを飲む。国内線はイヤホーンも5$とられる。いつも疑問に思っていることは、あれはイヤホーン代なのか番組代なのか、マイ・イヤホンで聞いたらどうなるのか? 上空から見たマイヤミの夜景は、同じ種類の街灯が使ってあるらしく、見事であった。

 夜9時マイアミ到着。中身は少ないが、ちゃんと荷物もついていた。マイアミには現地のツーリスト会社の方がいて、この人についていくことになったが、手ぶらで歩くのが早くたったったといってしまい、視線から消えてしまった。ちょっとしたら、たったったとまた走ってきて「はぐれない様に」と言われてしまった。別にはぐれるつもりは無いのだが、時差を考え無いと明け方の時間帯に重い手荷物を持って普通より早く歩ける訳がない。ホテルは空港内にありなかなか楽ちん。荷物はエレベータの所に有り、自分で持っていけばすぐに部屋に運べるのだが、ポータが運ぶということで、手荷物だけ持って部屋へ。予想通り荷物はなかなか来ない、30分以上たってやっと持ってきた。今回はモンゴルツアーの人と同居で団体ツアーでも気は楽。夜食は空港のロビーでサラダ+大盛りのオレンジジュースを飲んで済ます。時差12時間を加え長い一日はこうして終わった。


2月25日(水)アルバ島到着の日

 同居人はあまり寝られなかったようで、寝ている間にたばこを十数本も吸われてしまった。7時前に目が覚め朝9時の集合に間に合うように朝食を食べにロビーに降りる。朝からホットドッグチリ+コーヒを食べる。ホットドッグチリは名前の割には辛くなかったので、タバスコを目一杯かけて食べる。隣の同居人から臭いと苦情がでる。

 9時に集合10時半発の便でアルバへ向かう。マイアミを出ると下に珊瑚礁の白い海が広がる。また窓側今回は許す。しかし、隣の米人さんがさかんに窓を覗きに来て閉口。アルバ島とは時差1時間で、3時少し前に到着。アルバ島に近づくに従ってだんだん雲量が増えてきて、到着20分ぐらい前には大きな雲に入ってしまった。しかし、到着の直前には雲が切れ、まー大丈夫と思う。到着ロービで「ARUBA TODAY」という新聞をもらう。配っていた人の娘さんが可愛かったのでカメラを向けると、むっつりされてしまった。ここでようやく本職の添乗員さん登場。バスに乗り込んで観測地の下見に向かう。

 観測地の近くにあるサンニコラスの街は地図でみると緑の多いリゾートの街と思っていたが、バスから見た様子では、島の基幹産業である石油精製所に働く工場勤労者の街の様だ。この町のはずれに「VILLA MARTHA」という観測地になるレストランがあった。3時半にレストランにつくと既に下見に来ていた別グループの方々がいた。同じ時刻につくはずの迎えのバスを待っているとのことであった。空には遠くに雲が見える程度の快晴で、明日の晴れに自信を持つ。

 レストランの回りには野生のサボテンが生えている草地で東に数百メータの所に海がせまっている。風は予想より強く10〜12mぐらい東風が、オーナの掲げた日章旗を元気よくたなびかせていた。我々のグループはレストランの中庭は避け、西側の空き地を観測場所にすることに決めた。一応レストランということで、飲み物やトイレは完備していて、こういう条件はよさそうである。飲み物はソフトドリンク 1$50C、ビール 4$とうい程度。若干高いが一応レストランなので。

 1時間程下見の後、結局前のグループはバスが来ないとのことで、前のグループ同乗で街中を通ってホテルに向かう。バスの中は結構混んでしまった。アルバの繁華街はリゾートということもあって、コロニアル風のこじんまりとした街であった。街中では主要道が南北に一本走っているだけの様で、少しではあるが渋滞を引き起こしていた。5時半ホテル着。

 夜の7時が日の入りとのことで、急いで着替えジョギングに向かう。砂浜を走る事にするが力が入らずなかなか走れない。波打ち際は砂がかたまっており、そこを走ることにする。6時前から6時半ぐらいまで走る。ビーチの端から端まで走るが他にジョギングしている人はいなかった。距離は長くなかったが結構つかれた。7時前には写真で良く見る様なアルバの夕日になったが、ホテルの部屋からカメラを持ってくると太陽はもう半分雲に隠れていた。7時からは別働隊と合流し食事をとる。玉ねぎのフライが有名なレストランでチーン店がワシントンにもあった。レストランからの帰り道にオリオンが昇っており、カノープスが高くに見えた。

海辺夜景

 10時近くにホテルに帰り明日の準備をする。考えてみれば今回の装備はほとんどモンゴルの装備をそのまま持ってきただけだ。今回もキャノンF1+FD300mmx2倍でコロナとダイヤモンドリングの写真に挑戦。キャノンの防振双眼鏡を観望用に持ってきたが、FD300mmx2倍はモンゴルの包みのままである。キャノンの双眼鏡も買ったばかしで、この夜初めてオリオン星雲を見てみた。寝る前に、作ろうと思っていたタイマーテープを作る。皆既10分前から皆既終了まで作ったが、作る時妙に緊張してしまい、一回皆既を体験したような感じになる。


2月26日(木)日蝕当日

 この日は9時にバスが出るとのことで早起きして走ろうと思っていたが、5時半に起きた時にはまだ暗かった。20°ぐらいまでは雲がかかっているが、その上は晴れている。しかし6時半を過ぎると明るくなり7時過ぎまで走る。今日は北の方に向かい海岸が切れてから道路のわきを1Kぐらい走る、ちょうど良いジョギングコースになっていた。7時になると、今日隠される太陽が昇ってきた。部屋に帰ってから、バッフェスタイルの食事をとる。昼がどんな食事か分からないので、ベーコン、パン、果物を詰め込む。バッフェで14$はさすがリゾートホテル。8時50分ごろロビーに降りると皆さんがもう集まっている。9時出発の出発の予定だが、バスが来ない、結局9時半頃の出発。

 今日は9時と10時の2グループで出発する予定だったが、ほとんどが9時のグループで出発した。大した渋滞も無く10時頃にはレストランに着きセッティングをはじめる。混むと思ったレストランの中庭はがらあきであった。一応中庭には南北線が引いてあったが、元からあった敷石の方が正確では無いかと思ったりした。沖には皆既の中心線に沿って動いている大型客船が見える。東の空には黒雲があり先行き不安なきもするが、風向きからこちらには来ないだろうと思う。でもだんだん雲の量が増え始める。11時半には大きな雲に入り、沖で停泊した客船のところでは雨が降っているような感じになる。その後レストランでも雨がぽつぽつ落ちはじめる、みんな慌てて機材撤収。モンゴルの再来を予感はするが、なぜか今回は、晴れるとの確信がある。みんなとりあえず昼飯を取る。メニューはチキンかビーフサンドウィッチ。当たりはずれの無いチキンをとる。食事が終わるとだんだん雲が切れてきた。今日はあまり風がつよくなく、東の風5mぐらいか。コンビニの袋に石を詰めて三脚から吊るすと、ほとんどブレもない。

観測風景

 12時38分51秒第一接触。直後カメラのファインダーごしに太陽が欠けているのが分かる。しかし、この時間でも雲がさかんに通って行き、太陽をファインダーにいれるのも難しい。でも、1時20分を過ぎると大きな晴天域に入った様で、雲が全然無くなる。1時半より約5分おきに部分食の撮影に入る。金星が見えてくる。皆既10分前の2時少し前にコマンドテープを流しはじめる。でも、テープが伸びているのか時間がだんだんずれていく、次回からはやはりMDだ。そしてフィルムの交換、若干あっせっている。あと5分だんだん興奮してくる。モンゴルやタイでは動物の泣き声が盛んに聞こえたがここではいないのか聞こえない。「シャドーバンドが見えるとの声」でも全然見えない。目がどうにかしているのか。2時8分、皆既2分前、カメラのフィルターをはずすがまだまぶしい。

 2時9分49秒第2接触。ダイヤモンドリングが見える。少しして暗くなり、コロナがわいてくる。同時にその上と下に明るい星が忽然と現れる。上が水星(光度−1.5等)、下が木星(光度−2.0等)だ。タイの時はほとんど見られなかったが、今回の星の輝きは凄い。昔の記録にある「皆既、星見ゆ」を思い出す。カメラのシャッターを1/2000から一段ずつ上げて写しはじめる。ファインダーからコロナが流れているのが分かる。フィルムをはみ出ていそうで心配。赤道儀でないので、太陽をセンターに持っていくのに手間取る。腰をすえてやっているが手や足が震えて合わせられない。タイの時も思ったが次回は赤道儀自動追尾+自動スピード調整のフルオートにしよう。8秒までスピードを下げたところでもう食甚となる。あと8秒で2、3枚撮って観望にかえる。双眼鏡のフィルターをはずして見るが、片方しか見えない。仕方が無いので単眼で見る。後でみると、右側のフィルターが外れていなかった。やはり皆既中の焦り方は尋常ではない。コマンダーも10秒ぐらい違ってきたのでバックグランドミュージックにしかならない。

コロナ

 2時13分17秒第三接触。ダイヤモンドリングが見える。1/1000秒で3、4枚取る。そして明るさがだんだん戻ってきた。こうして、3分27秒の皆既日蝕は終わった。今回は撮影の合間に肉眼でみている時間が結構長かった。みんなで日蝕の成功を喜び合う。さっそくコロナビールを買ってきて祝杯。でも我が隊の隊長は、タイマーにせかされながらたんたんと観測を続行。頭が下がる。

ダイヤモンドリング

 撤収が4時ということで片づけを始め、3時半より主催者よりビールが1本出て簡単な打ち上げ。オーナーに感謝する。その後みんなで記念撮影。4時の予定のバスはいつものように来ず、5時のバスで4時の我々が帰った。

 6時少し前にホテルに着きすぐに街にでる。街はカーニバルとのことであったが、催し物はなく、ただ店が遅くまでやっているに過ぎないようだった。日蝕チョコを売っていた。表がサングラスをかけたひまわりの顔、裏がチョコレート色という単純なつくりで2個で1$。でも売っている娘がかわゆい。日蝕Tーシャツはほとんど売り切れている。リゾートまで来て、泳ぐ時間や、買い物をする時間が無いツアーは日蝕ツアーぐらいだろう。

日蝕チョコ

 港には日蝕クルーズから帰ってきた大型客船2席が停泊していた。一回りしたあと、レストランで日頃食べない肉をまた食べて祝う。ここも忘れたころ持ってくるレストランで、ディッシュが出てきたのはたのんでから1時間以上過ぎていた。10時過ぎホテルヘ。テレビでベネズエラでの日蝕の様子をやっていた。ホテルかテレビ局の屋上らしく衛星アンテナが立ち並ぶ中で観測している様だった。向こうも晴れたらしい。淡い日焼けを残して日蝕の日はこうして終わった。

みなと風景


2月27日(金)アレシボ電波天文台見学の日(プエルトリコ)

 今日は日蝕ツアーによくある、曇り対策の日程をこなす日。なにが悲しくて地球の裏側の究極のリゾート・アルバ島まで来ているのに、一度も泳がずに、まだ星の出ている時間に起きて、プエルトリコの山奥までいかにゃいけないのかと思うが、これも日蝕ツアーの修行のうちと思って観念する。

 4時半起床。空にはまださそりが高く昇っており、南十字も見える。飛行機で軽食がでるとのことで朝食は取らず、シャワーを浴びて、5時半ロビーに集合。6時に空港に向けて出発。暑くなるのを予想して、Tーシャツ+半ズボンの格好で出かけたが、冷房ががんがんに効いており、くじけてズボンをはく。空港では朝一にもかかわらず長いチェックインの列が出来ていた。カウンターで通路側を要求するも、なにも言わずにまた真ん中の席(B)を渡される。おまけに、ここのおにーちゃん、プエルトリコからダラスのチェックイン手続きをしておらず、プエルトリコでやり直すはめに。同じ列でチェックインした人は同じ被害にあった模様。それにしても一度も海につかれなかったのは残念。

 8時発の便で一路プエルトリコ・サンファンへ向かう。ここで出た軽食は5mmのカステラ一切れ、確かに「軽食」には違いないが・・・。9時半サンファン到着。バスでアレシボ天文台へ、途中でキュバンサンドウッチという、七面鳥+ハム+チーズの厚切れがはいった昼食を食べるが、今度は量が多すぎむかつきそうで半分残す。眠いが、20年こちらで暮らしているというガイドのおばちゃんのだみ声で寝られない。

 1時に究極の目的地アレシボ天文台に到着。「コンタクト」にもでた谷間に作られた直径305mの電波望遠鏡を展望台から眺める。写真では鏡面はもうすこし白い気がしたが、今日は曇っているせいか、ものすごくへったっているという感じ。ここ迄来たからには望遠鏡の下に入るのを期待していたが、それはできなかった。規模的にはすごいが、一日つぶして行くのはどうか。でもここまできた御利益を得る為か、鏡面型に作った加湿器(?)からでる湯気を、上野せんそう寺の要領で、額にあてている人もいた。2時半天文台を後にし、予想された渋滞も無く、4時半に空港着。

アレシボ

 6時の便にてダラスへ、席はあらかじめ決まっていて、何を言っても無駄なのが分かったので、チェックインの時なにも言わなかったが、今回初めて通路側になった。隣に座った同じグループの方から日蝕切手をわけてもらう。ホテルの売店で売っていたらしい。全然気づかなっかった。

日蝕スタンプ

 21時半(時差2H)ダラス着。なかなか寒い。10時半ホテル着、空港ホテルなのでモーテル並み、おまけに一階、窓の1m先は駐車場。今回もバッグを部屋まで運んでくれるとのことであったが、予想通り、50mの距離を1時間かかって運ばれてきた。みなさん疲れているようで、夕食は機内食で満足し、シャワーをあびて寝る。こうやって今回一番ハードな一日は終わった。


2月28日(土)から3月1日(日) ダラスから帰国の途

 久しぶりに7時起床。雲一つ無い快晴。日蝕日和。バッフェ形式の朝食をとってから、8時45分集合。バッフェは9$。空港に向かう。

 飛行機は11時半発、ベネズエラ組みも合流した模様。前回のモンゴルで日蝕の観測史に残る名言を残された先生も乗ってこられた。ベネズエラでも第一接触までは曇っていたとのこと。席はいつもの様に窓側、でも2列しかないのでなんとかなりそう。ダラスの空港はとてつもなく広い、滑走路が8本もあるそうだ。11時35分離陸、下に見える家には3割り方プールが着いておりうらやましい。1時ごろ西部穀倉地帯上空、丸型に刈ってある農場が続く。午後2時半(日本時間午前5時半)ロッキー山脈上空、カルガリーの上だそうだ。飛行機の上は違うグループでも知り合いが多いらしく日蝕談義になっている。既に次回来年8月の話題が出ている。やはりトルコが多い様だ。朝8時半アラスカ上空。3時半定刻より早く成田着。横浜までは車で送っていただく。6時横浜着。駅前の1Hプリント店で現像を頼む。7時半写真を受け取り、まず皆既の写真の確認。どうやら写っていて一安心。ダイヤモンドリングはハレーションが真ん中に出ており太陽を真ん中に持ってきたものはボツ、偶然太陽を端で撮っているものがあり救われた。

 こうして、ほとんどが移動若しくはホテルで過ごした4泊6日の日蝕ツアーは終了した。


第2版 1998年3月10日掲載


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