日蝕の伝説



    日本最古の日蝕記録(推古紀の日蝕)

    EMAPで描いた日蝕経路  

    日蝕経路  日本最古の日蝕は日本書紀の推古三十六年三月2日(西暦628年4月10日)に記された次の記事である。
     三月の丁未の朔戊申(二日)に、日、蝕(は)え盡(つ)きたること有り。
     推古帝は前月の27日に病に臥せ、日蝕から5日後の三月七日に七十五歳の生涯を閉じている。この日蝕は女帝の波乱の生涯を象徴する日蝕であった。

    食甚時の状況   

    日蝕状況  日蝕径路ソフトEMAPを使用し飛鳥古京(東経135.8度、北緯34.5度)でこの日蝕を再現すると、この日蝕は皆既日蝕で皆既帯が日本の太平洋岸を通っている。飛鳥での食分は0.96で太陽の縁がわずかにのこる状態となった。日蝕は地方時間で8時25分に始まり、9時35分に食甚、終了が10時51分であった。

    参考文献
    ・日本古典文学大系68「日本書紀・下」 岩波書店、1965(1992・第31刷)
    ・「星の古記録」 斉藤国治、岩波新書207、1982(1993・第2刷)

     この日蝕については推古天皇36年の日蝕は皆既か?もご覧ください。(2015/03/16追記)


    1996年11月16日 掲載


                    

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