「ペルシャンブルーの空に黒い太陽を追う」

ペルシャ・イスファハン日蝕観望記(1999年8月5日〜14日)



 観測場所は初めはトルコを考えていたが、旅程が厳しいのと、カッパドキヤしか行けないこともあり、晴天率+ペルセポリスも見られる、「ペルシャ・モスクワ10間コース」に決定。このコース、ほぼ内容の同じ8日間コースも有ったが、帰国日が遅れ月曜になってしまうので10日間コースを選ぶ。夏休み+一月遅れのリフレッシュ休暇で2週間も休んでいるのでこれ以上延ばすと顰蹙の二乗になってしまう。


第1日目 8月5日(木)(成田→モスクワ→テヘラン) お酒とお別れ

 成田に10時集合なので、6時に起きて7時に家を出る。7時半にYCATに着いたけどバスはちょうど出たところ。7時50分発のバスで成田へ。早ければ1時間ちょっとで成田に着くはずだが、横浜を出てから、すいすい走っている高速を横目に、品川近くまでたらたらと地の道を走り、結局1時間40分かかって成田へ。経費節減か??

 買い物を済まして10時集合場所へ。今回のツアーは募集は55名だったが、8日コースに人気が集まり、結局添乗員さん+インストラクタ−さんを入れて18名。大きなグループなら困るなと思っていたけど、ちょうどいい大きさになって一安心。

 12時発SU584でモスクワへ。隣は関西のプロのフォトグラファーで今回の天文インストラクタの方。前回の日蝕でもSWの表紙を飾った方とは、帰ってから知りました。(天文写真には興味が少ないので・・・)機内食は日本から積んであるので食べられた。

 17時過ぎにモスクワ着。22時までの待ち時間空港のバーで時間をつぶす。ツボルグビアが6US$。最後のまともな酒を楽しむ。22時発SU515でテヘランへ。2時半テヘラン着。飛行機からターミナルまでのバスから、ビデオを撮っていた人に警官が走ってやって来て、連れて行こうとしてもめる。「月を撮っていた。」との説明でどうにか納得?して戻って行った。ホテルに着いたのが3時半。結構順調に進んだ。部屋のかぎをもらい、部屋に入る。部屋はシングルで浴槽は無かったが、まともな部屋。シャワーを浴びて5時に就寝。


第2日目 8月6日(金)(テヘラン) 「ジャポニ?」の国イラン

 10時過ぎに起床。シャワーを浴びたあとフロントに換金へ。でも今日は金曜の休日。お金がないとのことで20$分18万リアルだけ替えてもらう。13時に集合して、昼食はバッフェ。パサパサめし+カレ−を食べ過ぎてしまう。

 14時半より、パ−レビ国王の夏の離宮サダバード宮殿に。森の中に小さな建物があるという避暑地的作りで、余り豪華な宮殿では無かった。添乗員さんの説明では、緑の多さで財力を示していると。イランの人も数組来ていた。女性は髪はベールに包んでいるが、彫りの深いきれいな女性が多い。イランはむさい男の国という先入観がだんだん崩れて行く。浜松の写真家さんが早速、写真撮影に挑戦。女性の写真撮影は駄目なのかと思っていたが、そんなことは無いらしい。一眼レフを持った集団に向こうの方も撮られたかったらしい。

 16時半よりは「川のほとりを散歩しながらお茶」という事前説明だったので、平地を予想していたが、つれて行かれたところは、「トチャール テレキャビン」という場所で、山の登山口。登山道を登ると、イランの人が「ジャポニ?」とか気安く声をかけてくる。すれ違う全ての人の視線は我々に向いている。何ヶ国も訪れているがこのような経験は初めて。このような「ジャポニ?」攻勢&人寄せパンダ状態がイランを出るまで続いた。

 10分ほど登山道を登ったところの茶店でお茶と、水タバコを飲む。確かに横に川と言えば言えなくも無い「排水路」登山道沿いに流れていた。我々のグループの隣にはお父さんに連れられた、男の子のような、ピアスを着けた女の子が。年齢が低いとまだベールを着けなくていいらしい。

女の子

 ここでツアー特有の自己紹介タイム。前の日蝕ではマイアミ空港のロビーだったがあそこよりは落ち着く。ツアーではペアが多いのではと思っていたが18名の内、ペアは秦野の夫妻と都内のOLさんの2組だけで、後はみな一人での参加だった。やはり日蝕には学校関係者が多く4名。日蝕観測・観望歴は初体験の方も多く、私の日蝕4回目は多い方であった。

 7時にホテルに帰り、8時よりバスでレストランへ。メニュ−はシシカバブ−(チキン・マトンのつくね・魚)。これから数日間シシカバが続いた。ちょっと食べ過ぎた。後半民族音楽が始まる。はじめは民族「舞踏」と聞いていたが、やはりイランでベリーダンスは無いらしい。そのうち隣のイランの人の席との間で、折り紙大会となった。日本側は「鶴」、イラン側は「船」が主流。10時過ぎにお開き、ホテルに帰る。

レストラン

 今日の教訓 「イランには美人が多い」。 1時就寝。

 5時に腹痛で起きる。でもどうにか「大正漢方胃腸薬」で収まる。食べ過ぎか?


第3日目 8月7日(土) (テヘラン→シラーズ)イランに山があった

 7時起床。昨日添乗員さんから聞いていたラジオジャパンの周波数に合わせるが入らず。電波が弱いらしい。シャワーを浴びてロビーで50US$40万リアルを換金。朝食はバッフェ。

 9時集合で絨毯博物館へ。四季と12宮星座を編んだ絨毯が目をひいた。19世紀前後のものが多い。10時半よりバザールへ。首都のバザール、凄い人出だった。最後は絨毯屋さんで休憩。一人だけ買う。でも暑い。

星座の絨毯

 昼飯はレストランでシシカバ。ここで食前にお茶を持ってきたじいさん、チップをやらなかったら、食後のお茶を持ってこなかった。本当に「現金な」やつ。

 2時半よりガラス博物館へ。正倉院御物の原型となる4世紀のおわんやギルガメッシュ伝説を描いた紀元前1千年代のつぼが興味深かった。

4世紀のおわん

 4時より考古学博物館へ。まず旧館でイスラム以前の収集物を見る。ここでは予想していなかった、カッシ−ト時代の境界石(クッドルー)を見つけた。これに描かれている物には、さそりや海蛇などがあり、星座の原型ではないかと言われている。しかしガラス箱に入っていることもあり、前にフィラデルフィアのペンシルベニア大学の博物館で見たものよりは、彫りが鮮明では無かった。

境界石

 新館ではイスラム時代のアストラーベや星座の描かれた文具が置かれていた。時間がなくなり駆け足でで回った。

星座の文具

 5時に見学を終わり空港へ。今日から代わったガイドの航空券の名前が昨日のガイドのままだったりして若干トラブったが、どうにか無事に離陸。しかし、上にあがった直後に、「雲がみえます。」という不吉な声が。だんだん雲量は増え、西の方角には雲海が広がった。シラーズ上空ではまったく雲の中。雲海をくぐっての着陸。高度が下がってくると、まったく予想していなかった比較的高い山並みが見えてくる。イランは「砂漠の国」という印象が大きな間違いであることを認識。イランは高原の国だった。気象的には「山=雲」であり、これを事前に知っていたら、観測地の設定に大きな影響があったはず。8時シラーズ着。テヘランの件に懲りずに、空港で写真を撮ろうとしている別の人がいて、女性陣より批難の雨霰。

 ホテルはテヘランより規模が大きいが老朽化が激しい。特にファーストフロアの部屋には「窓が締まらない。」等苦情続出。クレーム処理の為、後で黙って部屋を代えられて、帰ってきたら荷物が全て無くなっている(移されて)部屋もあった。食事は外でオープンエアのテーブル、でもメニューはやはりシシカバ。こう続けば飽きてくる。空は曇。天頂にかすかにべガが見える空。

 今日の教訓 「印象で観測地を選ぶな」。 今日も1時就寝。  


第4日目 8月8日(日) (シラーズ)見物より食事が長い観光ツアー

 7時起床。今日もラジオは入らず。集合前にカメラの掃除、ファインダの隅が見えにくい。良く見たら「カビ」だ。焦ってレンズクリ−ナで拭く。この前カメラを出したのは、獅子座流星、その前はカリブ海日蝕。カメラは、12年物の「キャノンF−1」、後で「きれいに使ってますね」といわれたが、実は使ってないのだ。

 9時過ぎ出発。道沿いには日蝕の旗も風ではためいている。途中には岩肌剥き出しの山が。果物の「ザクロ」はこの山並みザクロス山脈からきたものだそうだ。市内では曇っていたが、外に出ると雲の量がだんだん少なくなってくる。観光には雲があった方が良いが・・。

 前回もアルバと同じくバスには「NEC」の文字が。今回のツアー主催会社の英語名の頭文字だそうだが、某メーカと紛らわしい。

 11時よりペルセポリス見学。ガイドのお姐さん(お姉さんでは無い)がバスのなかで、「最後に1時間ゆっくり撮影の時間を取るので、最初はわしの説明についてこい」とのドスの効いた宣言。ということで、前半はガイドについてゆっくり見学。屋根がついている部分があって、陽射し除けにはいいが、写真的にはちょっと。

牡牛とライオンとガイドのお姐さん

 でも結局説明が伸びて、残り時間は45分になり、炎天下走って撮りまわるハメに。最後には小高い丘に急いで登ったので息がきれてしまう。

破壊後2300年後もそそり立つ柱列

 クセルクセス門は真西に向かって立てられ、春分、秋分にはこの門の後ろから、太陽が見とおせるとのこと。先には道が真西に続いており、前方の山には大和のニ上山を思わせるやまがあり、大和の大神神社と二上山の関係と酷似している。ここにも「太陽の道」があるのか?

後方の丘からクセルクセス門を望む

 集合時間の1時に走ってバスに戻り、レストランへ。このレストラン、初めは外で食べる予定だったが、ハエが乱舞し、炎天下で干上がった排水池のにおいも凄いので、待たされたあげく、テーブルと椅子を各自外から運び入れてようやく食事に。飲み物にコーラを頼んだが出てきたのはオレンジファンタ。(こちらではZAMZAMというらしい。)ガイドのお姐さんに写真が出来たら送ってくれと頼まれる。この国の人、みんなに頼んでいる。メニューは定番のシシカバ。食事が終わったのが2時半。ここで1時間半も食事にかけるのなら、もっとペルセポリスにかけろよなと。

 2時半よりササン朝の壁画ナグシェ・ラジャブを見学。雲が出てきたが結構暑い。

ナグシェ・ラジャブの壁画

 3時よりアケメネス朝の王様が眠るナグジェ・ロスタムへ。岩山に壁画が彫られている。みなさん、若干遺跡めぐりも飽きたのか、岸壁を這うトカゲにカメラが集中、ガイドのお姐さんもあきれている。

ナグジェ・ロスタムの壁画

 4時にシラーズに戻り、バザールへ。緬製のクロスが3〜4$で安かったが荷物になるので、買わず。その後、ハーフェズ廟へ。14世紀の詩人で、ゲーテも訳しているとのこと。ここでも日本人はめずらしいらしく、視線がきつい。子供達は最初はカメラを向けたら逃げていたが、最後は写真をパチパチ撮られていた。でも、後で先生から叱られていた。

子供達

 7時半にホテルに帰り、8時半より外のレストランで食事。繁華街を通ったので、道も混んでいて30分以上かかった。女性も一杯歩いている。でもメニュはやはりシシカバ。今日はちょこっと内容を替えて、えびのシシカバを選ぶ。ホテルに帰ると、前に飾りをつけた車がとまっており、結婚式らしかった。でもレディズオンリイで、入っていこうとした人が止められていた。

今日の教訓 「イランに居たら、イランに従うな?」  12時就寝 


第5日目 8月9日(月)(シラーズ→イスファハン)イスファハンは安ホテルだった

 いつもの様に7時起床。バッフェを食べて9時15分出発。最初はエラム公園を見る。バラが美しいそうだが若干時期が遅いらしい。大学の医学専攻の3人娘がいた。海外に出たいと。

エラム公園

 10時よりサアディ−廟へ。サッカー少年団が来ており、写真を撮り始めると、もう大変。地下に金魚を飼った水槽があり、その回りの椅子に腰掛けて、アイスクリームを食べる。日本人が回りを囲んでおり、若干異様な雰囲気。外にでると、一緒に写真を撮らせてとモデルになる人も多かった。

金魚の水槽

 11時にイスファハンに向けて出発。と思ったが、バスターミナルで許可証を取るために20分ほど停車。これから、ペルセポリスが入る地点で集合写真を撮り、昨日と同じレストラン昼食をとる予定。11時半に出発。1時に止まったと思ったら既にレストラン。昨日と同じメニュ−。でも今日は連絡が良かったらしくすぐにでてくる。

 2時出発、ペルセポリスに戻って、集合写真を撮るのかなと思っていたら、方向が違う。添乗員さんより「必要があれば、次に行く、パサルガタエで集合写真を撮ることになった」と。残念。今回のツアー、イラン向きにおおらかな方が多く、クレームが大きくならない。

 3時にパサルガタエにつく。大岩がピラミッド状に組んであり、飛鳥の石舞台の大型版。集合写真を撮り、スイカを食べる。日蝕の時三脚の重しになりそうな岩がごろごろ落ちているが、ちょっと持っていくのは思いとどまる。ここで、ペルセポリスの石を拾って帰るのを忘れたことを思い出す。

パサルガタエ キュロス2世の墓

 4時40分出発残り300kmあるのに・・・。イランはやはり高原で、山の峠と盆地の繰り返し。右側に天山山脈みたいな山並みが続く。出発まえの予想では、砂漠のなかの道を進むハズだったが、ちょっと勝手が違う。


ザクロス山脈

 5時40分Deh Bid通過。左側の雲がちぎれ始める。 7時Abade通過。ちょっと大きな街。 8時半風の強いドライブイン(?)でトイレ休憩。イスファハンに近づくにつれて、空が晴れてきて星が見え始める。バスの中から琴座、白鳥、サソリ、天の川もはっきり見える。でも、ガイドが訳のわからないイラン語のビデオをつけて、車内が明るくなり閉口。

 10時過ぎようやくイスファハンへ到着。ホテルのレストランで食べる予定だったが既にクローズしている模様で、前のホテルのレストランに行くことに。でも、なにかトラブッテる様で、部屋で待機。結局11時過ぎバスで別のレストランへ、既にオーダしてあるとのことであったが、「マトンのつくね」。閉口。結局、野菜とライスで夕食終了。えらい健康的な食事。

 ホテルはホテルで安ホテル。昔、アトランタでデルタの最終便をキャンセルされた時デルタが用意した、デイズイン以来の記録的ボロさ。30$のモーテルなら我慢もするが、通常の倍の料金を出しているツアーかと思うと、テンションが落ちてくる。
 このホテルの特徴
 @かぎにガタがきてて、閉めるのにコツがいる。内かぎも無し。
 Aエアコンが送風機兼騒音発生器状態。(大雨の夢を見た人も・・)
 Bバスタオルがカピカピで臭い。
 C冷蔵庫がうるさい。
 Dカーテンが足りず、半分はレースのカーテンのみ。
 Eベッドメーキング無し。次の日はたたんだシーツが置いてあった。
 Fエレベータの定員3名。スーツケースと一緒なら1名?
  (結局1回も乗らなかった。)
これに3日も泊まるのかと思うとぞっとする。テヘラン→シラーズ→イスファハンと、だんだんホテルの格がおちてくる。イランに対するイメージもまた落ちて行く。

エアコンを止めて、冷蔵庫のプラグを抜いて、2時に就寝。

今日の教訓 「イランの予定はあって無きが如し」


第6日目 8月10日(火)(イスファハン) 群がる青年団

 7時起床。恐々空を見ると快晴。やはりイランを選んで良かったと。何も無い健康的バッフェを取ってから、付近を散歩。隣にショッピングモール(?)があった。でも、9時過ぎても未だ半分も開いていなかった。イランは夜型の街みたい。夜更けでも結構店が開いて、人通りもある。

 9時半よりチェヘル・ソトゥ−ン公園に行く。ここで偶然別働隊の3名と合う。同じホテルだったそうだが、ドタキャンで、グレードアップしたホテルに宿泊中とのこと。ホテルだけは替わりたかった。宮殿の中には壁画絵があった。

壁画

 10時半歩いてイマーム広場へ。大きな広場、回りに店が並び、後で店を見ながら一周したとき2時間かかった。観測予定のモスクの中は狭く、人が集まったらどうなるかと若干心配だった。天気が良く、陽射しが厳しかった。中のモスクを見て回る。西側の門にある、アーリー・ガブー宮殿ではバルコニーに昇るのに階段を結構歩かなければならずバテル。ここで一人行方不明。添乗員さんが探しに行き、ガイドさんと我々はホテルに帰ることに。でも、ガイドさんがバスを探したりもたもたしている間、アイスクリームとか食べて、半時間ぐらい暇を潰す。ホテルに着いたのは2時過ぎ。思った通り、行方不明者は既にホテルに帰っていた。ホテルは歩いても10分もかからないところに有り、無駄な時間をすごしたものだ。今日はムバラケ公園でリハーサルの予定だが間に合うか心配に。

モスク

 昼食(ナスの煮込み)と出てこないデザートを死ぬ程待って、食事が終わったのが3時過ぎ。バスでの移動だが、バスまで行くと今度は、運転手が行方不明。シリアス観測者が居ないためか、みなさん、トルコ時間に慣らされて来て、文句も出ない。そうこうするうちに今度は、某日本の国営放送の取材。明後日の放送に使う可能性があるということで、ホテルから出てくる場面を撮りたいと。バスを乗りつける問題から、向かいのイラン一番のホテルから出ることに。

 やっと出発できたのが3時半。ぎりぎり間に合う予定だったが、観測予定地ムバラケ公園に着いたのは4時50分。バスの中で皆既予定時刻を過ぎてしまった。前回の日蝕以来初めて、300x2=600mm+ND400を付けて見てみると、「まぶしい」。前回のフィルターが行方不明になったので、旅行の前日新横のビッグカメラで残っていたND400を一枚かったけど、やはり減光が足りない。でもまぁ、皆既しか撮らないからよいかと。しばらくすると、最初に姉妹二人がやってきた。それにつられて、子供&村の青年団の数は増えて最終的には40人余りに。しょうがないので、機材は撤収。明日が心配に。回りを散歩すると、川幅20mの急流にそって木々が茂り、遠くには山が見え、カナディアンドライの世界。ちょっとイランとは思えない。

 6時半、子供達に手を振られながら引き上げる直前、第2陣8日間コースの50余名のバス2台が到着。子供達もそのバスにまた走り寄った。

村の姉妹

 途中バスが警察に行くのと、夕食まで時間があり、「川のそばを散歩しながらお茶を飲もう」といことで、降ろされる。確かに100mぐらい川沿いを歩いたが、すぐに街の方向へどんどん歩いていく。重いものを持っている人もいて大変そう。でもみんな、ガイドの早さに合わせて足早に進む。20分ぐらい歩いたところで、入った所が、また、「絨毯屋」。重い荷物を持って歩いていた人は、ついに、堪忍袋の緒が切れて、一人でホテルに帰る。ホテルに4、5分ぐらいのところまで歩いていた。これなら最初からホテルに降ろせと。ガイド見え見えのしわざだが、旅も終わりでショッピングの時間も限られてきているので、みなさん気に入ったものを買っている。

 夕食は、明日のランチボックスと同じフライドチキン。シシカバに飽きた体にはちょうどいい。夕食のとき観測場所を選ばされ、「エマーム広場」を選ぶ。時間が短くてもモスクの中で見るのはこれが最後だろうから。東の方向に雲がかかって若干心配。

今日の教訓 「ガイドを見たら絨毯屋の手先と思え」 12時就寝。


第7日目 8月11日(水)(イスファハン) イスファハン快晴

 7時起床。恐る恐るカーテンの下から、外をのぞくと、雲一つ無い快晴。これで、5割方日蝕を見られることが確実に。8時から朝食兼打ち合わせ。場所を変更する人も無く。ホテル2名、イマーム6名、ムバラケ10名に。8日コースはイマーム、ムバラケで半々と。

 イマーム組みは場所の心配もあり8時半に場所取りに出発。男3人で2時間交代で見張りをすることに、12時から3時は締め出されるという話もあり、どうなることか。9時からの2時間の見張りを引き受ける。この時間に、撮影計画を練る。(今頃)第2接触3枚、第3接触3枚、1/1000〜2秒一段おきに2枚ずつ=14枚x2。これで34枚の予定。座っているとイギリス訛り(?)の英人の男性が寄ってきて、時間、シャッタースピード等を聞いていった。1/1000から数秒で流すとなにか写ってると教えてあげる。他にもイギリス訛りの女性が1名。なんでわざわざ、日蝕の地元のイギリスからイランくんだりまで来ているのか?

 11時より交替し広場を回る。日蝕キーホルダー、Tシャツ、ペパーバックを買う。職場の土産用に訳はわからないがピスタチオの入ったお菓子を買った。(後でガイドがバスの中で同じ物を配り「飴」と判明)

 1時半よりは、日蝕特別お祈りが始まり、女性用お祈り所の入り口に陣取っていた我々はちょっとどかされる。8日間コースも入ってきて設定を始める。他の外国人はほとんどいない。2時ぐらいから雲が低空にゆっくり流れ始め若干心配に。

 3時15分食が始まる。双眼鏡で見ると欠けているのが分かる。イランの方もこちらを向いて座り、集まり始める。4時食も進み、回りを撮って使いきったフィルムを日蝕撮影用のiso100フィルムに交換し、皆既を待つ。だんだん涼しくなっていく。いままで低空にあった雲が突然消滅。今回の皆既観測の成功をやっと確信。

観測風景

 4時30分皆既3分前、隣の人がフィルタを落としたところで、思い起こしNDフィルターをはずす。

 4時32分過ぎ。ダイヤモンドリングに。1/2000にて何枚か撮る。気づいたら太陽がファインダの外れにきていた。ダイヤモンドリングになった瞬間回りから「オー」という声が上がる。ダイヤモンドの状態は比較的長く4、5秒あったと思う。

第2接触

 4時32分40秒すぎ、ダイヤモンドリングが終わり、まわりのコロナが明るくなった。プロミネンスが全周にわたり赤く環をつくり、その全方向にコロナが伸びている。目で直接見ると、太陽がモスクの上で燃えていた。1/1000より2段刻みに2枚ずつ上げる。

内部コロナ&プロミネンス

外部コロナ

 あまりに余裕を持ってやっていたためか、2秒に来たときに、食が終わり第3接触へ。1/1000に戻す時間が無いが、シャッターだけは切る。皆既の時間がすごく早く感じた。やはりオートブラケット機能が必要と思う。双眼鏡で見上げる時間もなかった。写真も20コマ弱しかとれていなかった。

第3接触

皆既終了後、又、某国営放送が取材を始めた。途中現地アシスタントかだれかが持っていた携帯が鳴りはじめ持ってきたところ。「いま取材中だ!」と日本語で叱られていた。彼も結構興奮している様だ。でも流石に、赤道儀を持ってきている人中心に取材している。いつものことだが、皆既中心の観望では、皆既が終わるとダレる。残った、フィルムで回りを写して回る。

 5時43分日蝕終了。連続をしていた人の片付けを待って、撤収。バスまでの間で、ジュース屋でアイスクリームを食べる、とてもおいしい。

 8時半夕食の予定なので、7時よりまたイマーム広場でショッピング。裏のバザールを回る。ここは日本ずれしていて高い。ホテルのロビーで、屋上で日蝕を見たお姉さんが、屋上で観測していた人に写真を送って欲しいと。分かっていれば、屋上で修行したのだが。

屋上のおねえさん

夕食後は夜のイマーム広場を散歩という話もあったが、また消えていて、ピザ屋で夕食。ムバラケ組みも、雲の無い状態での観測成功とのことで、一安心。夕食のメニューは一人1枚ずつのピザでトッピングの種類は同じ。違いはトッピングの量だけ。まぁ皆既成功の後は何を出されてもという感じ。10時に帰ってきて、午後の紅茶のペットボトルに入った、午後の紅茶色の液体で祝杯。

今日の教訓 「オートブラケット、オートブラケット」   12時就寝 


第8日目 8月12日(木)(イスファハン→テヘラン) やはりイラン時間

7時起床。今日も快晴。ショッピングのために今日は10時集合・出発。8時よりイマーム広場へ。途中前の豪華ホテルの本やで「Tales from ancient Persia」を買う。13万リアル。持ってそうな気もしたが、リアルがあまりそうなので。ジュース屋の隣の新聞やで新聞を買いたかったが、昨日のしかなかった。聞くと配達は午後と。ペルシャンブルーの一本ざしの花瓶を買いたかった、近くで見ると「仕事が粗かった」のでやめた。帰りにまた新聞屋によると今日の新聞が出ていた。やはりイラン時間。2種類買う。10時前に隣のフィルム屋に飛び込み、日蝕切手購入。

日蝕切手

 10時出発だが、今回はガイドが遅刻し、10時半出発。遅刻の理由は「日蝕で興奮して眠られなかった。」予定では夜7時にテヘランのホテル着。2時出発。でも、ツアー参加者の予測では、10時着最悪そのまま空港へ。添乗員さんからはそんなにはならないと。

 12時過ぎトイレ休憩。イスファハン→テヘラン沿いは本当の土漠で、景色が面白くない。またガイドが訳のわからないイランのビデオをつけて、内容を説明するが、面白くない映画であることだけは、言葉を知らなくても分かった。

 2時Robat-e Tok着。本当は先の150k先のゴムで昼食を取る予定であったが、このぶんでは着きそうもないので、ここで食事。多分半径150km以内、ここのレストランしかないのだろう。でも設備のよいレストランだった。食事の飲み物に「ヨーグルトのソーダ割+塩混入」という飲み物を飲んでいる人もいたが付き合いきれなかった。3時出発。5時ゴム通過。このままなら、7時に着きそう。(だった。)

 6時半、スイカを食べ様とのことで、ホメイニ廟で休憩。中に入った人もいてなかなか帰ってこない。7時半やっと出発。ここで添乗員さんより、出発が遅れた上に、「国際線なので4時間前の12時15分am出発に変更」と宣言。みんなあきれて、クレームも出ない。こんなに予定の無いツアーも珍しいのでは。道も混んでいて結局、9時半ホテル着。出発も2時間早くなっているので、我々のほぼ予想通り。シャワーを浴びて10時15分集合、そして夕食。食後1時間寝る。二つ目の目覚ましでやっと起きて12時15分集合出発。1時半空港着。2時半チェックイン終了。1時間余り、住所交換会などで時間を潰す。

今日の教訓 「いつも最悪を考えれば、何が起きても怖くない」


第9日目 8月13日(金)(テヘラン→ロシア) やはりモスクワは鬼門

 今日は13日の金曜日。

 4時15分発のSU516でモスクワで。機内食は内容を確認しただけで、パンとスプライトですます。なんか肉がとぐろを巻いていた。

 7時50分モスクワ空港着。入国審査官が1名しかおらず、全員の入国が終わるまで1時間以上かかる。9時半やっと、空港出発。モスクワは雨。10時20分赤の広場へ。ガイドが歩いていくけど、残りたいものは残っていいというが、みんな着いて行く。そとは土砂降り。ガイドは傘をさして進む。そのうち雨はもっと激しくなり、一人屋根の下に雨宿り。残りの人は、赤の広場の真中で、傘をさしたガイドさんの説明を、ずぶ濡れになりながら聞いている。典型的ロシア的風景。今回の旅行の前は、好きでない国の中にロシアがあり、その下にイランがあったが、今回の旅行でイランはまともな国に格上げされ、ロシアはそれ以上に格下げされた。

以下ロシアは省略。行ったところだけ。
@ガイドさん提携のみやげ物店
Aモスクワ大学を遠目に見て
Bすずめが丘(ブラビヨービ丘) 結婚ほやほやの心労(?)新婦がシャンペン飲む所とか
花嫁さん
C昼食
Dトレチャコフ美術館(クレムリン前のプーシキン美術館で、ロシアが戦前くす
 ねてきたベルリン博物館蔵トロイの財宝を見た方がまし。)

ということで、4時過ぎ空港着。前のバーで再度祝杯。7時出発。(日本時間午前零時)

今日の教訓 「ロシアはやはりロシア」


第10日目 8月14日(土)(ロシア→成田) 東京も雨

 零時にSU581にてモスクワを出発。今回は個別チェックインをさせてくれるので、通路側を確保できて快適。通路側でも快適でない人も若干いたが。流石にSU映画はロシア映画。予定通り9時過ぎに成田着。預けたバックに巻いていた旅行用バンドが無くなっていたので、代理のJALにクレーム。中古品をもらう。他にもかぎを開けられてドル札が無くなっている人もいた。流石にSUのテヘラン−東京路線。荷物受取所で解散。

 途中横浜駅の写真屋で13本現像してもらう間、神田で暇つぶし。6時帰宅。長かった。

今回のツア−の教訓 「日蝕 見れば官軍」

第1版 1999年8月16日掲載
第2版 1999年8月29日写真追加


Copyright(C) 1998 Shinobu Takesako
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