うしかい座

本題「熊の守護者」


 これはジョーブとカリストの子、アルカスといわれている。リュカーオンはジュピターが彼のところに客として来た時に、彼を他の肉と一緒にふるまった。彼は客が神かどうかを確かめたかった。この行いは軽い罰ではすまなかった。彼はすぐに、机をひっくり返し、雷で家を焼き尽くし、そして、リュカーオンを狼に変えた。しかし、彼は散らばった少年の肉を集め一つに戻した。そして、あるアエトリア人に世話をさせるために授けた。彼が成長したときに、森の中で狩りをしていた。彼は熊に形を変えた彼の母を見たが、それを認識できなかった。彼女を殺そうとして、ジョブ リカエウスの寺院に追いつめた、アルカディアの法によれば、そこに入った者への罰は死であった。従って、二人とも死ななければならなかった。ジュピターは哀れに思い、前に書いたように、二人をつかみ星の間に置いた。この結果、アルカスは熊につづいているように見え、彼は熊をまもるので、アルクトフェラス(Arctophhylax)と呼ばれる。  幾人かはこうも言う、彼はエリゴネ(Erigone)の父である、イカルスである。彼の正義感や忠誠に対し、父のリブレ(Liber)がワイン、葡萄の木、そして葡萄を与えた。人間にどう葡萄の木を植えるか、それに何がなるか、そしてどう使うか、何が出来るかをみせられる様に。彼が葡萄の木を植えて、剪定はさみで注意深く育てていたが、やぎがぶどう畑に入り込み、生えそろった葉を食べてしまっているのを見た。イカルスはそれを見て怒り、やぎを捕まえ殺した、そしてその皮で袋を作り、それを膨らまし、強く縛り、彼の仲間の中に投げ出した。そして、その周りで踊るように命じた。 そしてエラトステネスが言う: イカルスのやぎの周りで彼等は初めて踊った。  他の人はこう言う。イカルスは父リブレからワインを授かったとき、すぐにその皮をワゴンに載せた。これで彼はボーテス(Bootes)と呼ばれる。それをアティックの田舎を巡っている羊飼い達に見せた時、その内の何人かはその新しい飲み物に魅せられ、酔っ払い、半死人の様に、品の悪い言葉を発しながら、ここかしこを徘徊した。また、他の者は、毒はイカルスによって羊飼いに与えられたと思っている。羊たちを自分の領内に誘い込み、彼を殺し、井戸に投げ込めるように。若しくは、他のものが言うように、木の下に埋めた。しかし、この眠りに落ちた人々が、目覚めた時に、こんなに休めたのは初めてだと言い、イカルスにお返しを要求した、彼の殺人を、正気で騒ぎ回った。すぐに飛びケアン(Ceans)の島に来た。ゲストとして迎えられ、彼等は彼等の家をそこに建てた。  しかし、イカルスの娘であるエリゴネ(Erigone)が彼女の父を望んで移ったとき、彼は帰ってこないことが分かった、あるとき、彼のために狩りに出た時、イカルスのメラという名の犬が彼女のところに帰り、彼の死を悼むように吠えた。それは彼女に殺人の少しの疑いも抱かせなかった。気の弱い娘なら、既に数ヶ月も帰ってこないことから、彼女の父は殺されたのではと思うのだが。しかし、犬は彼女のドレスをその口で噛んで、彼女を遺体まで連れって行った。彼女がそれを見るやいなや希望を棄て、孤独や貧困に耐えて、たくさんの悲哀と伴に、彼女は父が埋められた木の下で首を吊った。そして、犬はその死で、彼女の死を償った。何人かは井戸に見を投げたという、アニグルス(Anigrus)とその名をいう。こういう訳で彼等はこの井戸でその後おぼれた者はいないという話を繰り返す。ジュピターは彼等の不幸を悲しく思い、彼等の姿を星の間に置いた。そして、そうたくさんの人々が、イカルスをボーテス(牛飼い座)、エリゴネ(Erigone)をバージン(乙女座)、口述するが、と呼んだ。犬は、しかし、その名前と外見から、カニクラ(Canicula)と呼んだ。それはProcyonとギリシャ人から呼ばれた、それは大犬より遅れて昇からである。他の人は父リブレによって星の間に描かれたと言う。  同じころ、アテネでは多くの少女が訳も無しに首を吊って自殺していた。なぜならエリゴネ(Erigone)が、死ぬ直前に、アテネの人々がイカルスの死を調べその復讐をせねば、アテネの少女も同じような目に会って死ぬべきだと願った為である。そして、この様なことが起きた時に、人々がアポロに尋ねた時に、アポロはお告げを与えた、それは、彼女の影響から自由になるためには、彼女をなだめよと。従って、彼女は自分で首を吊ったので、彼等は、自分たちで揺れる体操を始めた、それは身体に木を付けてそれをロープで結わえて、風が吹けば揺れるものであった。彼等はこれを神聖な儀式とした、そして、身内の間でも、公式の場でも行った。そしてこれを、αλητιζと呼んだ。彼女の、誰とも知れない孤独な、犬と一緒の彼女の父と思われる、乞食を適切に名付ける。ギリシャ人はそのような人々をαλητιδεζと呼ぶ。  これに加えて、山賊を快く迎えたので、カニクラ(Canicula)では、温度が上がり、ケアン(Ceans)の地を焦がされ、食物の土地を荒らし、無人とした、そして、疫病がはやり、イカルスの苦しみの償いを払った。彼等の王アリスタエウス(Aristeus)、アポロとシレーネの息子、そしてアクテオン(Actaeon)の父、は彼の父にどうすればこの影響から解き放されるかを尋ねた。神は彼等に命じた、多くの生け贄でイカルスの死を償え、そしてジョーブ(Jove)に願った、カニクラが昇った時、カニクラの暑さを軽減するように、彼は40日間風を送れと。この指示はアリスタエウスが実行した。そしてジョーブから、エテシアン(Etesian)風が吹くべきだという、好意を得た。これをエテシアンと呼ぶ、んぜなら、一年の決まった時期に吹くので、ギリシャ語でετοζ、ラテン語でannusという。あるものは、またエテシアンと呼ぶ、ジョーブに願って、得られたものである為。しかし、我々はこの訳を決めないで置いておこう、少なくとも我々は全てのことを期待して考えなければならない。  手近な事に戻ると、ヘルミプス(Hermippus)、星の事を書いた人物、はいう、セレスはテウスカス(Thuscus)の息子イアシオン(Iasion)、と寝た。多くはホーマーに同意する、これにより彼は雷に打たれる。彼等により、クレタの歴史家ペテリデス(Petellides)がいうように、二人の息子が生まれた、フィロメロス(Philomelus)とプルトス(Plutus)、二人は生涯良い仲ではなかった。プルトスは金持ちであったが、彼の兄弟にはなにも与えなかった。フィロメロスは、しかし、必要に迫られて、二頭の牛を彼の持っている者で買った。そして、ワゴンの発明者となった。そして耕地を耕して、自分で自身で支えた。彼の母は彼の発明を誇りに思い、彼の耕す姿を星の間に写し、彼をボーテスと呼んだ。彼からパリスが生まれたという、その人々をパリアンと呼びその町をパリオンと呼んだ。


2001/11/17 Up
2005/01/16 Add Fig
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