いるか座



 エラトステネスを初めほかのものは、いるかが星の間に置かれた理由についていかのように云う、ネプチューンがアムプトリテ(Amphitrite)と結婚しようと思ったとき、彼女は処女のままを望んだ、そしてアトラスのもとに逃れた。ネプチューンは彼女を探すために多くのものを遣わした、その中にそのいるかはいた、島々を巡っているときに、ついにこの処女に巡り合った、そして、ネプチューンと結婚するように説得した、そして彼自身が結婚式を執り行った。この労に報い、このいるかの姿を星座のなかに置いた。それ以上に、我々は、ネプチューンの姿を作ったものが、手の中あるいは足元にいるかを置いてる、それは彼等が、いるかが神を喜ばせる物と思っていたからであろう。

 アグラオステネ(Aglaosthenes)、ナキシア(Naxia)を書いた、はこう云う、ティレニア(Tyrrhenian)人の船主が、リブレ(Libre)が子供の時、彼の従者と伴にナクソスに連れて行き、かれの乳母になるニンフに預けた。今の時代の作家も、ギリシャの作家も、神の起源を語る本の中で、彼は彼女等に育てられたと云われている。しかし、本題に帰ると、船主らは、見返りに誘惑され船向きを変えようとしていた。リブレが彼等の計画を疑ったとき、彼の従者に歌を歌わせた。ティレニア(Tyrrhenian)人は聞き慣れない歌に魅了され、踊りだし、歓喜の中で、無意識のうちに海の中に身を投じた。そして彼等はいるかの姿に変えられた。リブレはこの出来事を人間の記憶に留めて置くために、その中の一匹の姿を星座の中に置いた。

 ほかの者は、しかし、これはアリオン(Arion)を生んだいるかだと云う、シタリスト(citharist)、シシリア海からタエナルム(Taenarum)までの。彼は技術において全ての者より秀でていた、収入を得るために島々を巡っていた、彼の召使が、謀反の自由の方が従僕り利益が大きいと考え、彼等の主人を海に投げ込み持ち物を分け合う計画をした。彼がそれに気づいたとき、彼は頼んだ、主人と召使、被害者と加害者ではなく、父と子として、祝勝会できる礼服を着ることを。なぜなら、彼以外に彼の死に対する哀悼を述べられる者はいなかったので。彼がその許可を得たとき、まっすぐ彼のシターラ(cithara)をとりあげに行き、彼は彼自身の死を嘆き始めた、その甘い音楽に惹かれて、海の全てのいるか達がアリオンの歌に沿って泳いだ。そして、不死の神々の力に祈り、彼等の上に身を投げた、そしてその中の一匹が彼を背にのせて、タエナルムの海岸まで運んだ。これの記念として、好きだったいるかの上にいるアリオンの像がそこに置かれた。この出来事により、昔の天文学者により、星座のなかにいるかの姿が置かれた。しかし、隷属を逃れた奴隷達は、嵐によりタエナルムに流され、彼等の主人により捕らえられ、軽い罰では済まなかった。


2001/11/17 Up
2005/01/16 Add Fig
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