こぐま座



 「ナキシアキェス」(Naxica)を書いたアグラステネス(Aglaosthenes)はこう言っている。彼女はイーデー山(Idean)のニンフでジョーブの乳母であるキュノスーラ(Cynosura)であると。かれはまたこうも言っている。ニコストラトス(Nicostratus)とその友が築いた都市ヒストエ(Histoe)の港と土地の大部分は彼女の名前からキュノスーラと呼ばれた。彼女はまたジョーブの付き人であるクレテス(Curetes)の一人であった。また他の人は、ヘリィケー(Helice)とキュノスーラはジョーブの乳母で、それの感謝で空に置かれた、そして二人とも熊と呼ばれたと言う。我々は彼等を七つ星達(Septentriones)と呼ぶ。

 しかし、多くの人がいうように、大熊は荷車の様だ、そしてギリシャ人はそれを荷車と呼んだ。その理由は解き明かされている。最初に星を観察し、いくつかの星座にまとめた人々は、このグループを「熊」ではなく「荷車」と呼んだ。なぜなら、二つの七つ星は同じ大きさで、近くに寄っている星は牛達で、他の5つは荷車の姿に見えた。そしてこれに一番近い星座を「ボオーテス」(牛飼い)と呼びたかった。彼については後に語ろう。アラートスは確かに、牛飼いとも、荷車とも上述の理由でそう呼ばれたと言わなかった。しかし、荷車の様な熊は、北と呼ばれる極を回っており、牛飼いはそれの手綱を取っていると言っている。これは大変な間違いである。後に7つ星に関連して、パルメニスクス(Parmeniscus)が言うように、天文学者によって熊のかたちを完全にするために、七つではなく、25の星が集められた。それで、荷車についていた牛飼いと呼ばれた者は、今アルクトフェラス(Arctophylax)(熊使い(Bear Watcher))と呼ばれる。そしてホーマーの時代には彼女は熊と呼ばれた。七つ星に対しては、ホーマーは彼女を熊と荷車と呼んだ。何処にも牛飼いがアルクトフェラスと呼ばれたとは言っていない。

 小熊座がフェニケ(Phoenice)と呼ばれていたのか、誰が正確に航海できると注意深く観察したのか、また良くみていない者が、なぜ、大熊座より正確なのを知っているのか、これらの理由については多くの意見の相違がある。これらの人々はなぜ彼女がフェニケと呼ばれているのかその理由を知っているとは思えない。ミレトスのターレスはこの問題を探求した。ヘロドトスが言うように、最初にフェニキア人が彼女を熊と呼んだ。従ってペロポネススの人々は最初に熊(アルクトス)を使っていた。しかし、フェニキア人はそれを観察し、彼等はそれをその発見者から受け継いだ、そしてそれを観察することにより、もっと正確に航海できると考えた。そして、それを発見した人種から、彼女をフェニケと呼んだ。


1997/09/04 Up
2005/01/16 Add Fig
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