【墳墓4星】
各同定に相違なし。
清代の同定が[虚梁]となっているがこれは『天文匯抄』の誤読で原書をみれば[虚梁]は値の無い別の星座となっている。
【虚梁4星】
晴海と月進図の同定は同じでHR8629から[泣星]の北の星HR8530で終わっている。
宋代の距星の同定は63κ Aqrに重なるが、HR8629の可能性も残る。
小川は宋代および元代の星食の記録から、宋代は[HR8629,63κ Aqr,51 Aqr,54 Aqr]の組み合わせで
元代は[63κ Aqr,HR8581,HR8530,43θ Aqr]に変わったとする。元代には泣星[43θ Aqr]は消滅しているとする。
しかし、晴海と月進図の同定は[虚梁]がκ Aqrから泣星に伸びる線上にあり[泣星]も並存している。
宋代の星図を見ても[虚梁]は南北になる星座と思われる。小川の宋代の同定では水平に近くなるのでここでは春海の同定を採る。
【蓋屋2星】
宋代の距星は清代の[蓋屋2]に近いが西星とあるため清代の[蓋屋1]と同じ31ο Aqrとした。
春海のは東星が31ο Aqrとなる。月進図の同定はもう少し南の可能性もあるが春海と同じとした。
清代の同定では南北の星座となり星図に合わないのでここでも春海の同定を採用した。