このページでは以下の「星座の起源・カルディア人羊飼い説」のどこが具体的に間違っているのか指摘します。
1.冒頭部分
この部分はOK。
2.カルデア人(シュメール人)は牧羊民?
@バビロニアに文明を起こしたのをカルデア人とするのは太平洋戦争前の考え方。今はシュメール人。 Aシュメール人が先住民だったのかほかから移動してきたのかは「シュメール人問題」として現代でも答えはでていない。したがって「東の山岳地方から侵入し、そこに建国した」は諸説の一つ。 Bシュメール人は灌漑農耕の民族である。「彼らは放羊の民族だったので」は誤り。 C農耕民族なので「夜どおし羊の番をする間に星をながめた。」も誤り。星を観測するのは農耕/暦のため。 D都市生活者のシュメールでは天幕生活の羊飼いは蔑視の対象だったので天文や星座の担い手ではない。 D注意:世紀前三千年ごろに星座が作られたのではない。移住してきた場合の時期の推定にすぎない。(BC3500-BC3000頃ともされる。)しかし移住自体が現在でも不明確。(シュメール人問題) シュメール語が完全に表記ができるようになったのでさえ前2500年頃。 E注意:星座名がシュメール語なので星座の起源はシュメールとされるがシュメール王朝時代にシュメール語で書かれた天文記録(天文占いを含む)は残っていない。 ・John H. Rogers「Origins of the ancient constellations」J. Br. Astron. Assoc.108 (1998)p.11 『 The sumerians may have created the other costellations later recorded in Babylon; althrough there are no surviving writen records of most of there before abount 1100BC, the Babylonians used Sumerians name for many of them.』 ・Hermann Hunger, David Edwin Pingree「Astral Sciences in Mesopotamia」(1999)p.6 『In any case,no omens in Sumerian are preserved, although there is evidence that ominous sings were observed and interpreted.』 3.星をのことを「天の羊」、惑星を「年よりの羊たち」と呼んでいた?
@この部分はROBERT BROWN(1899)の「Researches into the origin of the primitive constellations of the Greeks, Phoenicians and Babylonians」(1899) p.287の[Vl章] HOMERIC CONSTELLATIONS. から引用されているものである。この文章はホメロスの星座の説明の章でBootsとOrionの関係性を示すために彼の考え方に有利なように解釈し記述されている文章であり、星座の起源を示すものでは無い。一つの星座SIPA.ZI.AN.NA(Anuの真の羊飼い(王),オリオン座)を説明するためのただの前振りの文章である。 A一番の間違いはROBERT BROWNが「by the Sumero-Akkadai」としているのにカルデア人(シュメール人)として用い羊飼い説を補強していること。現在発見解読されている楔形文字で書かれた天文タブレットはシュメールより後の民族が書いたもので、シュメール語(表意文字,日本語における「漢字」)とアッカド語(表音文字,日本語における「ひらがな」)の混在の文章で書かれている。例えれば、漢文の中国語ではなくひらがな混じりの日本語で書かれていることになる。その意味でROBERT BROWNも「by the Sumero-Akkadai」としたと考えられる。したがって、この文章はカルデア人(シュメール人)ではなく、カルデア(シュメール)の国家を滅ぼした後の時代の民族の「Sumero-Akkadai語」での記述をベースにした彼の考えである。したがって、カルデア人(シュメール人)の話として「それで、(カルデア人・シュメール人が)星をのことを「天の羊」、惑星を「年よりの羊たち」と呼んでいた。」とするのは「羊飼い説」へのミスリードで間違い。例えれば、日本人の漢字混じりの日本語の記述を見て「中国人はこう考えていた。」とするのと同じ間違い。 B「the stars were figuratively regarded by the Sumero-Akkadai as 'a heavenly flock,'」を「星のことを「天の羊」と呼んでいた。」とするのは明らかに「羊飼い」を連想させる意図的な誤訳。訳は「星々を「天の(羊の)群れ」と比喩的にみなしていた。」であり、「天の羊」と呼んではいない。これはROBERT BROWNが後に続く「天の羊飼い」を引き出すためのただの前振りの彼の考え。ROBERT BROWNも「天の(羊の)群れ」にあたる Sumero-Akkadai語があれば引用したはずである。この話は最近の星座の解説書でも「シュメールやアッカド人の間で言われていた。」と孫引きしているものもあるが同様に間違い。 『I have given in detail these facts about Bootes and his connexion with Orion, because I think they may tend to clear up one of the most difficult points connected with stellar identification in the Euphratean Sphere. We know that the stars were figuratively regarded by the Sumero-Akkadai as 'a heavenly flock,' a simile which is even found as late as the so-called Chaldaean Oracles. (ギリシャ語文 略) ( Oracle,No. cxlii.). Of these ' herds ' the seven planets were the Lubati (' Old sheep '), and the whole of the stars had certain stellar shepherds. The Ak. sib, siba, = As. ri'u, ' shepherd,' and belu, 'lord' just as the Homeric king is the 'shepherd' of his people'; and no constellation is more frequently mentioned in the Inscriptions than Sibzianna, As. Ri’ubutsame (* Shepherd-of-the-life-of-heaven * or Shepherd, Spirit-of-heaven '), a lord and guardian, called also Ri’u kinu sa sami (' the true Shepherd-of- heaven'). The researches of Messrs. Sayce and Bosanquet (Monthly Notices of the Royal Astron. Soc. Vol. XL Jan. 1880, pp. 119 et seq.) (以下略)』 日本語版ブリタニカ百科事典には「星座」の項目にまだこの「天の羊」の引用文が載っているが、英語版のブリタニカ百科事典の現行版(15版,1974-2007)では削除されている。星座の起源とは関係無いので当然である。前の14版(1929-1973)に掲載されていたと思われる。 4.カルデア人(シュメール人)の黄道十二星座
@ この記述はギリシャ古典からの新バビロニア(BC7世紀)以降のカルデア人の話である。 A 黄道十二星座の証拠はBC5世紀以降にしかない。 したがってこの部分もシュメール人の記述としては全て誤り。 最近はMul.Apinに黄道十二星座があるというとんでも説明まで出てきているので要注意。黄道十二星座は黄道を30度づつ12個の領域(星座)に分けて太陽、月そして惑星がどこにあるかを表示するシステムである。黄道十二星座のそれぞれの星座がどこまで古く遡れたとしても、黄道十二星座の表示システムがその時代にあった証拠にはならない。 Mul.Apinには黄道帯にある「月の道」(黄緯±5度)があるが12星座ではなく17星座である。(注1)したがって新バビロニア前後のMul.Apinの時代にはまだ黄道十二星座のシステムはできていない証拠となる。最古の黄道十二星座のシステム(黄道12宮サイン)の使用例は楔形タブレットVAT4924 (BC419年)である。(注2) 注1:Hermann Hunger and David Pingree「 MUL.APIN An Astronomical Compendium in Cuneiform 」 Archiv Fur Orientforschung Beiheft 24 (1984) p.144 注2:B.L.van der Waerden「Science Awakening II」(1974) p.125 5.ジッグラッドでの観測はバビロニアから?
@ カルデア人(シュメール人)の時代は牧羊民で放牧生活、バビロニアは文明国家という考えなので誤り。 A シュメール人の時代から農業のために神殿で月を見て暦を造っていたと考えられる。 しかしカルデア人(シュメール人)の時代の天文記録(天文占いを含め)は残ってない。したがって、 シュメール時代の天文学については後代の民族がシュメール語の星座名を使っていた以外何もわからない。
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2018/07/16 ブリタニカ百科事典追記
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