高松塚古墳星宿図の南北逆転復元図




【1】高松塚古墳星宿図の奇妙な復元図

 高松塚古墳星宿図として紹介されているのが右の図である。これは30年前に訪ねたときにもらったパンフレットからスキャンしたものであるが、サイトを見ると現在でも同じパンフレットが配布されている。この図には復元図と明記されていないので、このままの姿で描かれていると思っている人もいるのではないだろうか。
 しかし「キトラ古墳天文図 星座写真集」にある高松塚古墳の実写版星宿図とそのトレース(図2)を見ると、特に南側の星宿については壁画ほとんど残っておらず、大部分が復元図であることが分る。

図1 高松塚古墳星宿図
「高松塚壁画館」パンフレットより

【2】トレース図と復元図の比較

 以下図2が写真からのトレース図左の図3が復元図である。
 両図を比較すると大幅に加筆されている問題のある星宿が多くあることがひと目見てわかる。これは復元図ではなく「想像図」のレベルである。
 製作者は『新儀象法要』(北宋・天佑年間(1086~93)に完)におさめられた星図(図4)を参考にしたらしく、この図と比べると以下。
 北方七宿の「室宿」:一星の跡しか無いのに、6星が追加されている。
 南方七宿の
  「井宿」:縦線はあったと思われるが、横線はわからないのに加筆してある。
  「鬼宿」:壁画では十字の線なのに、箱形に変わっている。これは明らかな間違い。『蘇頌星図』(図4)と比べると南北逆である。
  「柳宿」:星座が南北逆である。
  「星宿」:星座が南北逆である。
  「翼宿」:壁画の残存部分と復元図が全く合っていない。『蘇頌星図』(図4)と比べても南北逆である。
  「軫宿」:これも製作者は南北逆に置いている可能性が高い。
  以上のように基本的な間違いが多い。壁画の中央が北極星であるので南北逆に描いた理由は想像もできない。
  なぜこのような重要な壁画の復元図の単純な間違いが半世紀も見逃されているのか全く不明である。

図2 高松塚古墳星宿図トレース図
「キトラ古墳天文図 星座写真集」PL.5より

図3 高松塚古墳星宿図(赤枠内が問題のある星宿)

図4 『蘇頌星図』
(『新儀象法要』(北宋・天佑年間(1086~93)に完)におさめられた印刷星図)
大崎 正次「中国の星座の歴史」雄山閣出版 (1987)p.234より

図5 キトラ古墳天文図(円形図から方形図に変換済)
なお「翼宿」と「張宿」は入れ替えてある。

【3】北方星宿 「室宿」の検証

 高松塚古墳星宿のトレース図の室宿の北にある星の残存とされる跡は以下の理由で星の跡では無いと思われる。
① 室宿は2星である。
② 右図の真ん中にある岩の割れ目より下に書いてある北方星宿は無い。
③ 2星を結ぶ線は鮮明に残っているが、残存とされる星跡に向かう線や線の跡のが全く残っていない。

 従って第3図の赤枠で囲った室宿の部分は間違いで消去が必要。

図6 高松塚古墳星写真図(星宿付近)
「キトラ古墳天文図 星座写真集」PL.4より

【4】南方星宿の検証

 「想像図」であれば以下ような図が現状よりはましと考えられる。
  「井宿」:キトラ天文図や「格子月進図」と同じ図案。
  「鬼宿」:残存部に従って十字線で結ぶ。(「格子月進図」と同じ図案)
  「柳宿」:「格子月進図」と同じ図案。キトラ天文図は本来より1星少ない7星のため。
  「星宿」:「格子月進図」と同じ図案。キトラ天文図は直線であり、直線にした場合「張宿」の場所がなくなるため。
       キトラ天文図で「張宿」と「翼宿」の順番が違うのもこのようなデザインの問題と思われる。
  「翼宿」:キトラ天文図と同じ図案。
  「軫宿」:キトラ天文図と同じ図案。

図7 高松塚古墳星宿図 南方七宿 想像図(案)

【5】感想

 高松塚古墳の発見(1972)から半世紀もたとうとする時代に不正確な情報が出回っているのは悲しむべきことである。

  参考文献;
    ①奈良文化財研究所 「キトラ古墳天文図 星座写真資料」奈良文化財研究所研究報告16 (2016)
    ②高松塚壁画館   「高松塚壁画館」パンフレット(1989頃の版)
    ③大崎 正次     「中国の星座の歴史」雄山閣出版 (1987)



2018/08/18 『蘇頌星図』を追加。
2018/08/18 UP
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