北部『筋違道』想定経路
ここでは、飛鳥から北上してきた太子道が、現在の寺川にぶつかる点の対岸にある『糸井神社』が延喜式の神名帳に記載されている古い神社であることを考慮し、この辺りに古代でも川が流れていたと推定した。
そして、南からの『筋違道』が寺川にぶつかる点を起点として、『島の山古墳』の北の地点を結ぶ道を接続路に想定した(図4)。
『筋違道』は北部で一箇所左に折れて北に進むと一般に説明されているが、北部と南部の道の方位はほぼ同じで並行なので、その説明は明らかに誤りだった。このように、古道の話は、根拠もなしに定説になってしまっている話が多い。
『筋違道』の北部の道は、南部と方位が違い、明らかに『島の山古墳』から北に向けて敷設されたと考えられ、『筋違道』より以前に、もともとあった道である可能性が高い。北部の道が既設で存在していなければ、南から単純に龍田道まで延長すれば済んだことになる。