古代の都城と古道を巡る旅 3日目:丸山古墳での下ツ道切通し


 

 梅田から御堂筋線と近鉄線を乗り継いで、ホテルのある橿原神宮前駅へ着いた。まずは、急いで飛鳥を巡ることに。
 ここの駅前は、昔は「軽のちまた」と言われていた。したがってこの道が『下ツ道』。実際には、『太子道』との交差点以北と方位が違っており、『太子道』との交差点からここまでと、ここから南は、それぞれ建設時期が違う。
『今日の行動範囲(約11km/3時間)と撮影箇所』
 「軽のちまた」から南は、方位が西に寄っていることが分かる。『下ツ道』は丸山古墳の北が起点とされているが、その根拠もまた無い。実際には、丸山古墳の南から見て西側が、『下ツ道』で削ずられている。

 信号機を越えると、県道のバイパスの本道は古墳を大きく削るように東に振れる。右の旧道は細いままの道が残っている。『下ツ道』は昔この左側にあった。
 その狭い道を左に折れると、バイパスにぶつかり、その先に丸山古墳に登る道がある。
『下ツ道の切通の確認』
 そのバイパスで右に折れ、すこし行って振り返るとこんな感じで、左側に家が立っている。 この左の家の奥が、問題の切通しになる。
 この先を左の斜面を降りていくと下の写真のようになる。下の家のレベルまで切通がなされていることになる。残念ながらこの切通の部分には通路は通っておらず、すぐに人家となっている。
 【右の写真の先で降りて、切通の北方向を望む】
 【道から見ると、4、5mの高低差がある】

 右図のように、『下ツ道』をまっすぐ通すために、このあたりが削られている。もし、削られていなかったら、緩やかに古墳の端が下っていたはずなので。
上左の写真は、右の写真に見える通路を降りる途中で撮った写真。
『丸山古墳に登る』
 先の登り口から丸山古墳の前方部分に登り、円墳部分を撮った写真。円墳部分を一周してみたが特に見るものは無かった。
『飛鳥横道に至る道を登る』
 旧道を先に進み、左におれて、飛鳥に入る道を進む。坂ではあるが、高低差を感じない道だった。
『菖蒲池古墳』
 途中に表札があったので寄ってみた。しかし案内板しかなかった。
『亀石』
 飛鳥観光のおきまりの『亀石』。
『橘寺』
 これも飛鳥観光のおきまり。
『川原寺』
 川原寺は斉明天皇の冥福を祈るために建立された。
 右側の塔跡は鎌倉時代に再建された塔とされます。
『エビノコ郭の案内板』
 児童公園においてありますが、見つける人はマニアでしかない。
 案内板には「エビノコ郭は天皇が政務や儀式をおこなった『大極殿』に相当する宮殿施設であったと推定されている。」とありますが、大極殿は北極星の宮殿であり、南北の中軸線に置かれる施設。西門しかない宮殿は、『大極殿』でないことだけは確か。
『酒船石』
 これも飛鳥観光のおきまり。
『斉明天皇の石垣跡』
 フラッシュが必要な時間になりました。
『水落遺跡』
 水落遺跡も北極星で方位測量されていますが、ほぼ真北に天香具山の山頂が見えます。 たぶん、天香久山にひるがえっていた白妙は、渾天儀の真北合わせの、目印だったと思います。 なぜなら、天香久山は下の写真のように低い平たい山なので、目印がないと山頂がわからないのです。
『雷丘の木』
 飛鳥の写真でよく見る木。帰り道に突然現れました。
 この日はこれで撤収。


2023/01/27 掲載

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