古都の歴史をたずね(ついでに)皆既日食を見る旅
【タイに黒い太陽を追う 1995年10月24日 (2024年改版)



    【現地集合日食ツアーに参加】

     1992年に日食ソフトEmapを発表してから、1995年のタイの日食には行きたいと思っていたが、決心したのはもう一ヶ月しか残っていない9月の末だった。バンコクから観測地までは最悪電車でもいいかなと思っていたが、パソコン通信(FSPACE)のメンバから日食の専門家も参加するツアー「古都の歴史をたずね 皆既日食を見る旅」があるとメールをもらい、それに参加することにした。(現地についてから、この日食の専門家が自分になっていることに気付いた。)

     ツアーの内容は21日(土)に日本を出発し、その夜にバンコクからウトラディットまで寝台電車で移動し、翌日からスコータイ地域の遺跡を見てまわり、24日(火)にナコンサワンから北東に50kmぐらい離れたボータムという日食の中心線上にある小さい町のお寺で日食を観測し、その日の午後にナコンサワンから列車でバンコクに帰るという内容だった。幸い航空券は溜まっていたUAのマイレージで手に入れられた。

     具体的には、22日(日)にはシーサチャナーイ、23日(月)にはスコータイ・カンペンペット周辺の仏教遺跡巡りになっていて結構歩いたり小高い山に仏像遺跡を見るために登ったりと運動不足の私にはハードな内容だった。日食ツアーと言っても現地側参加者には「日食を見に行くんだ」という悲壮感は全く無く、皆既日食は遺跡巡りの最後のおまけのような感覚だったのだろう。そのため遺跡巡りをプレッシャー無く楽しめた。短期間でこの地域の主要遺跡を周る遺跡ツアーとしても優れたツアーであったと思う。

【日食帯概略図】

     この現地ツアーは、「レヌカーの旅」(レヌカ−&カンパニ−・カンパニ−)というレヌカーさん(タイ在住日本人)の旅行会社の企画で、この会社は2024年現在も活動中。このツアーの参加費用はパンフによると大人7800バーツで、当時のレート3.77円換算で約3万円でリーゾナブルな金額だった。

    【日程表(1/2)】

     日程表(21/2)】


    【旅行パンフ】(69番の通し番号)

     

    【ツアー 1日目】 成田⇒バンコク⇒ウトラディットへ

     ツアーの内容を詳しくは聞いていなかったので21日成田で集合した時は10人もおらず、こじんまりしたツアーだなと思った。UA821便(13:55発18:15着)で成田を出発。バンコクについてからレストランで夕食をとったあと、空港駅の寝台車で現地側の参加者と合流した。結局日本側参加者7名現地側の参加者(日系企業駐在員の家族)が60名余りの合計70名強のツアーだった。
     列車は22時に出発の予定だったけど、遅れ、結局出たのは23時40分だった。翌朝には朝焼けのなか電車はウトラディットを目指して走っていた。明け方には27日の細い月が見えた。ウトラディットに着いたのもそのまま2時間遅れの8時すぎだった。

     駅のホームはこんな感じ。この時の小学生もすでにアラフォーということになる。日食を見て人生観は変わっただろうか?


      【車窓から見えた朝焼け】
      【日の出】

     

    【ツアー 2日目】 シーサチャナラーイ遺跡⇒スコータイ遺跡

     シーサチャナラーイ遺跡へは駅で待っていたバスで移動。人道の吊り橋もあった。

     最初に訪ねたのはワット・プラ・シー・ラタナー・マハタート遺跡。この遺跡入り口の小さな門の脇には太陽を食べて日食を起こすというラフーの鬼瓦があった。


      【マハタート遺跡への吊り橋】
      【マハタート遺跡のラフーの鬼瓦】

    【シーサチャナラーイ遺跡公園内の散策】
     

     次にシーサチャナラーイ遺跡公園に移動して、遺跡の見学。公園内は45平方キロもあるそうで、主要な寺院遺跡を歩いて見学。いろいろな形式の寺院があった。

     ツアー日程表に、「あつい」「きつい」と書き込んでいるので、初日から結構ハードな日程だったのだろう。


     公園内の見学のあと、近くのレストラン「ワン・ヨム」で昼食。鉢に蓮の花がさいてました。

      【ワット・スワン・キリー遺跡】
      【ワット・チャーン・ローム遺跡】

      【ワット・チェディ・チェット・テーオ遺跡】

     

    【スコータイ遺跡の夕暮れの見学】
     

     昼食のあとスコータイへバスで移動。日程が押して夕暮れ迫るスコータイでは、トウリ エン窯跡、プラパイ・ルワン寺などをを見学。

     夜はスコータイのホテルで星の観望会。流れ星がいくつも流れる暗い夜空だった。空には大きな灯籠風船がいくつもあげられていた。


      【トウリ エン窯跡】

      【ワット・プラパイ・ルワン遺跡】


     

    【ツアー 3日目午前】 スコータイ遺跡

     朝は森林部の寺院を見学。ワット・サパーン・ヒン遺跡には12.5mの大きな仏像があった。山頂に野ざらしで、手が落ちていないのが不思議だ。スコータイ時代につくられた巨大な貯水池も見た。運動不足の体にはきつい山歩きだった。

     

    【大きさのイメージ】


      【ワット・サパーン・ヒン遺跡】

      【貯水池】

      【ワット・マンコン遺跡】

     

    【ツアー 3日目午後】 スコータイ遺跡⇒カンペンペットへ移動 

     午後はワット・シーチュム、ワット・サッシー、ワット・マハタートなどを見学。ワット・マハタートではもっと近くからも撮っておけばとあとで後悔。

     

    【ワット・シーチョム遺跡】

     



      【ワット・シーチュム遺跡】


      【ワット・マハタート遺跡】

     

    【ツアー 3日目午後】 カンペンペットの遺跡

     昼食後カンペンペットへ移動。ワット・プラ・タート、ワット・プラケオ、ワット・チャーン・ロムなどの遺跡を見学。このあと筏でクルージングの予定だったけど、筏が座礁して中止。ホテルに帰る。(このあたり記憶にない。)
      【ワット・プラケオ遺跡】

      【ワット・チャーン・ロム遺跡】


      【ワット・プラ・タート遺跡】




    【ツアー 4日目】 日食当日、観測場所へ移動

     5時半に起きて、6時半に出発。この朝はタイではあまり見たこともない雲一つ無いピーカン照りで明けた。観測場所の「ボータム寺」までバスで移動。とりあえず日食の説明会を現地参加者へ行われた。私(最右)も自称アマチュア専門家として登場。
      【日食説明会風景】
    (同行者撮影)
     10月はタイの夏休みということで観測場所になったお寺には近所の子供たちやも大勢集まって来て総勢百人ぐらいで空を見上げることになった。現地の人には日本側参加者がラボで露光・現像したフィルムを配っていた。
      【日食観測風景】

    【追記(2024/04/13)】問題はこのお寺の正式な名前や場所がどこにも記録にないこと。今だったらGPS機能ですぐに分かることだったろうけど、GoogleEarthで探しても「ボータム寺」は存在しない。多分ボータムにあるお寺の一つなのだろう。30年経って変わっているのもあるが、近い感じのお寺が右図のお寺。とりあえず条件のひとつの学校も敷地内にあるようだ。


      【ホテルのロービーで集合】

      【観測したお寺の候補(ワット・ナーヌア)】
      (15.975004N,99.758109E)

     写真と合っているのは、地図中央の建物だけだけど・・・。


     

    【4日目午前】 日食の観測

      日食が始まる前まではピーカン照りの空も第1接触後は雲が出始め第2接触12、3分前ぐらいから太陽が大きな雲に入ってしまい雲を通して食分がわかるような状態になってしまう。第2接触5分ぐらい前になると観測者一同悲鳴と怒号の大合唱になってしまった。

     ところが、第二接触直前に嘘の様に突然雲が切れ、皆既食が始まった。天国と地獄とはこういうことを言うのか。月で隠されて真っ黒になった太陽からコロナがぱっと湧いて出る瞬間は最高であった。ここで現地参加の人達も自分達がどんな素晴らしいものを見るためにここまでやってきたのかを実感したようで大歓声がわいた。皆既の間まわりでは日食を起こすラフーを追い払う為に太鼓が打鳴らされていた。
     1分半の皆既が終わりダイヤモンドリングが始まった。ダイヤモンドリングは時間で測れば短いだろうが、感覚的には結構長くつづき大満足だった。
     皆既が終わるといままで流れていた雲の集団は消え失せピーカン照りの空に戻った。この雲日食について行ってしまったのだろうか。帰りの飛行機で隣に座ってたナコンサワン北部で観測した人も同様な状況だった様で。しかしこの雲の演出で日食の感動が2、3倍に増幅された。
     翌25日のバンコクは曇が多く観光日和だった。一日ずれなくて良かった。

     この日食は始めての撮影であり、うまく撮れなかった。一つは三脚が弱くブレブレだったことと、露光が短すぎたこと。堅牢な三脚で、長めに段階露光を行う必要があった。
    (同行者撮影)


      【日食雲に隠される太陽】

      【日食・プロミネンス】

      【同行者撮影のコロナ】

     

    【4日目午後】 バンコクに向けて帰還

     機材をかたずけて撤収。バスでバンコク行きの貸し切り車両がくるナコン・サワンの駅へ急ぐ。途中で昼食をとり、渋滞のなか急いで向かったが、予定通り列車は遅れ、みんな夕日の中でいつ来るかわからない列車を待ちくたびれていた。

     結局一時間遅れで発車した列車は果てしない草原を突き進む。帰りの車窓からは、今度は夕焼けが見えた。海のように見えるのは、この年アユタヤは洪水だったからのようだ。

     日食観測がメインの旅のはずだったけれど、最悪日食が見えなくても満足いくようなツアープランだったので、予想以上に遺跡の見学ができた旅だった。こんなことがなければ、実質2日でこんなに多くの遺跡を見ることはなかっただろう。

    撮影機材:Canon new F-1 + new FD50mm F1.4
    フィルム(ポジ):Kodak Ektachrome EB100


      【開けっ放しの車両の後ろデッキから】


      【帰りの車窓から見た夕焼け】


      【列車から見えた仏塔】


    タイの日蝕神話


    RAHU  悪神ラフーが太陽を呑み込む日蝕神話がタイでは語られてきた。しかしこの神話はもともとヒンズー教の神話である。


     ヒンズー神話では、乳海撹拌によりアムリタ(不老不死の薬)を作る事に協力したアスラ(=阿修羅)だったがアムリタを与えられなかった。そこでアスラはアムリタを盗むことにしたが、スリーヤ(太陽の神)とチャンドラ(月の神)に見つかってヴィシュヌに報告されてしまった。ヴィシュヌはすぐにアスラを2つに分断したが、アスラはすでにアムリタを呑んだあとで、頭はラーフとなり、胴体はケトゥとなって生き続けた。ラーフは8頭の黒馬に乗り天空をさまよっている。
    ラーフはこの時の太陽や月に対する憎しみを忘れず、太陽や月を追っかけている。太陽や月に追いついたときに日蝕や月蝕が起きる。


     この神話は東南アジア一帯に広まっている。写真はウトラジット近くのチャリアンにあるマハタート寺の遺跡入り口の小さな門の脇についているラーフの鬼瓦である。(近くに立っていた電信柱が影になってよく撮れていませんが。)



    タイで変形された日蝕神話

     昔、姉妹と忘れっぽい召使いがお寺のそばに住んでました。姉妹はお寺の僧に料理を作るのが好きだったが、ある日お寺の僧にごはんを施す時に召使いがさじを添えるのを忘れてしまった。姉妹は大変怒り召使いの頭を叩き(タイでは頭を叩くのは大変悪いこと)人前できつくしかった。
     召使いは大変恥ずかしくまた頭にきて「次に生まれ変わった時には姉妹や人々を脅かしたい。」と神様に願った。
     召使いはラーフに生まれ変わり、太陽と月に生まれ変わった姉妹を追いかけ回し、時々太陽や月を捕まえたときが日食や月食になる。人々は鐘を叩いたりして音でラーフを追い払い、太陽や月が救われる。


    ・「Tales and Stories from Thailand,1964,タイ教育省編」より


                    

来年の30周年を前に写真を加え大幅に改版。原版【2024/04/13】
2006/10/01 up
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