2.最新の藤原京域
発掘調査が続けられた結果,現在の藤原京域の範囲は図2のように拡大している。さらに,先に中ツ道の検証で判明したように,横大路上で下ツ道から4里(2118m)東にある道は中ツ道ではなく,図のように藤原京の東二坊大路である。この大路上に三輪神社と中ツ道といわれた発掘点はある。
したがって,発見直後に井上和人著「発掘「中ツ道」説批判」(奈文研紀要 2004 p.68-71(2004))で指摘されているように,藤原京内東二坊で発見され「中ツ道」とされた道の遺構は,東二坊大路そのものであり,中ツ道ではない。
上記論文の最後には以下の記述がある。しかし,20年を経た今でもこの道の遺構は「中ツ道」とされている。
『発掘された「中ツ道」は中ツ道ではなかった。この否定説は、いまだ完全に論証されたものであるとはいいきれない。しかし、中ツ道であると判断することに比較すれば、より蓋然性に富んでいると言うことは許されよう。
私は橿原市教育委員会による今般の発掘調査成果の公表に先だって、いくつかの報道機関の求めに応じて、中ツ道否定論を譚々と説いた。しかしながら、それが紙面等の報道に顧慮された形跡は全く認められなかった。発言力の乏しい研究者の言説ではあるとはいいながら、たとえ事実を措いても、より刺激的な喧伝を追求してやまない報道姿勢の相変わらずのありように接して、憂慮するとともに、深く嵯嘆せざるをえない。(井上和人)』(奈文研紀要 2004 p.79(2004))