『格子月進図』の推定年代の誤解



 
【『格子月進図』の推定年代の誤解の原因】
 『格子月進図』の製作年代を誤って1100年頃とする説明がよくなされているがその原因は以下である。

  井本進(1942)は『格子月進図』を発見した経緯を報告し、そのなかで星図の春分点から製作年を以下のように推定している。
 『格子月進図に記載されている春秋二分点から年代を算出してみると大体西暦1100年代となる。一方新儀象法要所収の星図も概ね同じ年代になっているが、此の図は能田忠亮博士によれば宋の元豊年中(皇紀1738-1745)の観測による星度と云うことである。従って格子月進図も大体元豊年中の観測により書いたものと見てよい。ゆえに、春秋二分点の内春分点の方は大体星図の年代を指示しているようだが、秋分点の方は何の古星図も左様であるが、年代算出の基礎とは為し難い程不精確である。此の点に於いて格子月進図の秋分点は殊に不精確であって星図の右端にかかれた秋分点と左端に書かれた秋分点とは食い違っており不一致となって居る。』(同p.69)

【井本進(1942)の『格子月進図』の春分点計算の検証】
 『格子月進図』の春分点付近の星図は図1。
 奎宿の宿広度は16度なので、奎宿経線から春分点までは東に約6度(-6°)となる。『格子月進図』の原紙の目盛りから読むと約5.5度となっている。ここで奎宿距星(34ζ And)の50年毎の赤経の位置は表1となっている。表1から『格子月進図』の春分点が奎宿経線の東5.5°にある年代を読むと西暦650年頃となる。またこの表で1100年を見ると奎宿距星(34ζ And)が春分点にある年代となる。
 井本進(1942)で『格子月進図』と概ね同じ年代になっているという新儀象法要所収の星図が図2であるが、春分点は奎宿経線より西(+方向)数度のとことにあり、推定年代では1200~1300年頃となり『格子月進図』と比べると全く違うことがとわかる。春分点の部分の『格子月進図』は、紹介されているの星図などでは写真の切れ目で写っていないことも検証がされなかった原因と考えられる。
したがって井本進(1942)の上記記述及び1100年という推定は誤りである。

 なお渡辺敏夫(1987)p.764も圭宿距星の可能性のある3星で計算を行い、それぞれ、814年(δAnd)、653年(ζAnd)、466年(ηAnd)の結果を出している。しかし宋代の宿広度の記述を重視し春分点からの年代推定を保留している。3つの星をあげている理由は渡辺敏夫(1987)p.754-755の表12.2で圭宿距星が変化していると考えているためであるが、表の一行のδAndは薮内清(1936)p.64表6[唐開元年間の観測]のタイプミスをそのまま写したのが原因なので、赤道広度でみれば元代まで距星はζAndで変わっていない。
 また渡辺敏夫(1987)p.762は宋書の「漢から唐の一行まで宿広度は変わらなかった。」という記述を重視し、一行の宿広度と違う『格子月進図』は一行の後の720年以降と推定しているが、宋代の記述者が全ての資料を持っていたとする根拠は無いし、不可能である。実際『格子月進図』は開元年間には既に存在していた星図である。

【『格子月進図』の春分点は中国蘇州の『淳祐石刻天文図』の春分点と同じという話の検証】
 推定1100年という『格子月進図』の誤った年代は、中国蘇州の元豊年間(1078~85)の観測を基礎にして描かれたとする『淳祐石刻天文図』(図3)の春分点と同じという話でさらに補強されている。しかし、実際に『淳祐石刻天文図』の春分点を測ってみると奎宿経緯線より約-3.8°となる。これを表で読むと800年頃なる。薮内清(1990)p.124では900年としているが実際にはそれよりさらに100年前である。従って『淳祐石刻天文図』と春分点の位置が似ているとされるのは『淳祐石刻天文図』の春分点が精確に描かれてないためである。『淳祐石刻天文図』の春分点は本来であれば奎宿経線と重なるぐらいでないといけない。
ちなみに『淳祐石刻天文図』と春分点が似ているとされる『天象列次分野之図』の春分点は約-3度前後にある。これは850年頃となり『天象列次分野之図』の原図が中国を出た推定年代と重なる。原図の黄道をそのまま描いてあることになる。

結局『格子月進図』の春分点からの年代推定では650年頃の製作となる。
このように『格子月進図』の年代推定には春分点一つをとってみても誤算や「古い星図では無い」という思い込みの歴史がある。

 
表1 奎宿距星の赤経変化
[HR: 215 Name: 34ζ And Mg: 4.06]
西暦(年) 赤経[°] 春分点との差[°]星図
300 350.1 -9.9
350 350.7 -9.3
400 351.4 -8.6
450 352.0 -8.0
500 352.6 -7.4
550 353.2 -6.8
600 353.9 -6.1
650 354.5 -5.5 『格子月進図』
700 355.1 -4.9
750 355.7 -4.3
800 356.4 -3.6 『淳祐石刻天文図』
850 357.0 -3.0 『天象列次分野之図』
900 357.6 -2.4
950 358.2 -1.8
1000 358.9 -1.1
1050 359.5 -0.5
1100 0.2 0.2
1150 0.8 0.8
1200 1.4 1.4
1250 2.1 2.1 『新儀象法要所収の星図』
1300 2.7 2.7

    図1『格子月進図』春分点付近の図(復元図より)

図2 新儀象法要所収の星図
(大崎正次『中国の星座の歴史』(1987)より)

図3『淳祐石刻天文図』
(奈良文化財研究所『キトラ古墳天文図 星座写真資料』(2016)PL.6より)


図4 『天象列次分野之図』
(京都大学宇宙物理学教室所蔵)
 
  
【参考文献】
・井本進  「続本朝星図略考」天文月報, 35巻6号 (1942)
・渡辺敏夫 「近世日本天文学史〈下〉観測技術史」恒星社厚生閣(1987)
・薮内清  「宋代の星宿」東方学報 京都第七冊 (1936)
・薮内清  「改定増補 中国の天文暦法」平凡社 (1990)
・佐々木英治『格子月進図』(復元図) (1984)



2018/08/03 宋代星図追加
2018/08/02 UP
Copyright(C) 2018 Shinobu Takesako
All rights reserved