「最小二乗法による古代星図の年代推定」
の発表について



 2019年3月発行の日本数学史学会の会誌「数学史研究」232号(2018年12月〜2019年3月)にて以下の論説を発表しました。

【題名】 最小二乗法による古代星図の年代推定
【概要】
 中国星図に関連する星図星表及び観測記録につき最小二乗法で観測年代の推定を行った。
 まず最小二乗法で求めた最適年での残差と推定年の偏差の関係をシミュレーションにより求めた。
 この結果をもとに星図星表の観測年の推定を行い結論として、中国ではAD400年頃に行われた観測による星表が
 宋代の初め(AD1000年頃)まで参照されていたことを明らかにした。

【最小二乗法で求めた最適年での残差と推定年の偏差の関係】
 シミュレーションにより下記図の関係を求めた。


 この図は残差が例えば2.0度あった場合には去極度(赤緯)方向では約±50年、宿広度(赤経)方向では±450年の標準偏差があることをしめしている。このグラフの傾きから見ると、去極度(赤緯)方向の結果の方が偏差の幅が狭いことになる。
 なお標準偏差と90%信頼区間は以下の関係式で計算できる。
  90%信頼区間(片側) =標準偏差x1.64xRoot(1/データ数)

【星図星表の観測年の推定】
 上記グラフの関係をもとに、星図星表の観測年とその偏差を推定した結果が以下の表である。
 例えば、渋川春海の『天文瓊統』の宿広度の結果は中心年が1279年、標準偏差が±28.1年、90%区間で±8.7年の偏差となる。
 これは渋川春海が距星の宿広度については授時暦の値を参照し観測したため。

【結論】
 1)『格子月進図』の原図に使われた星表の観測年代は宿広度及び去極度の両方からAD400年前後と推定できる。
 2)『天象列次分野之図』(原図はAD900年頃の中国星図と推定)は、従来星図と横に刻まれた碑文の内容は同じと想定し、碑文の
   内容で年代が推定されてきた。しかし、星図の去極度の値からは『格子月進図』と同じAD400年頃の星表と推定できる。【注】
   星図の宿広度からの推定年が碑文の推定に近いのは、碑文の宿広度で星図が修正石刻されたためとも考えられる。
   碑文は石刻図作成時(AD1395年)に編まれたたもので星図の原図に書かれていたものでは無い。偏差も両者でかなり違う。
   これまで文献批判的解析が行われてこなかったことになる。
 3) 従来AD720年頃と推定されていた一行の『大衍暦』の観測推定年も実際には400年頃であった。
 4) また宋代初めの景裕(1030)の観測値とされる宿広度の値も『大衍暦』とほぼ等しく400年頃となった。
 5) 以上の内容により、AD400年ごろの観測星表が唐代を通して宋代初めまで参照されていたことが明確になった。
 6) キトラ古墳天文図は筆者が実際の距星に近い星の赤緯を選んだため従来の値より古代に近くなったが、いずれにせよ、
   キトラ古墳の天文図は誤差が大きく数値解析できるレベルの星図ではない。しかし、項目5)の内容により、
   唐代に描かれたキトラ古墳の天文図の原図も同じ400年頃の星表で描かれていたと推定できる。
   高松塚星宿図についても同様である。

 7) 以上のように、中国古代の星図は同じAD400年ごろの観測星表が使われているので、星図の作製年代は使われている星表
   の観測年代からは推定できない。星座の形や場所などの特徴による推定が重要となる。


【注】例えば、宮島一彦「朝鮮・天象列次分野之図の諸問題」大阪市立科学館研究報告24(2014)p.4でも「そこで赤緯のずれが最小になる年 ということで年代を推定できることになる(赤経のずれは図を少 し回転 させれば解消するので使えない)。ところが、かつて天象列次分野之図について計算して見たところ、西暦 500年代ぐらいの数値になった。」とある。

以上


2019/03/07 注追記
2019/03/06 掲載
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