迷信「シュメール人の高度天文知識説」



     日本の天文関係で語られる根拠のない迷信には「星座の起源・カルデアの羊飼い説」の他に「シュメール人は高度な天文知識を持っていた。」という迷信がある。
     シュメールの時代に書かれた粘土盤(タブレット)からは天文に関する記録は見つかっていない。シュメールの時代の天文タブレットがないにもかかわらず星座の起源をシュメールとするのは、後の時代に書かれた天文タブレットがシュメール語(表意文字)とアッカド語(表音文字)の混在の文章で書かれており、星座名にシュメール語(表意文字)が用いられているためである。これは日本語で書くとき星座名を漢字で表記する場合と同じである。したがってシュメール時代の天文知識の程度を知る根拠となる記録は無い。

     ではなぜ日本では「シュメール人が高度な天文知識を持っていた。」とされるのか?
     不思議ではあるが、この伝説も「カルデアの羊飼い伝説」と根は同じで起源は明治のカルデア伝説にある。以下の旧制中学の教科書の「カルデアの天文」の記述をシュメールに読み替えると「シュメール人の高度天文知識説」になる。野尻抱影と同じく、明治時代のカルデア人伝説をシュメール人に読み替えた人がいて伝承したことになる。

     ちなみにここで書かれているカルデアの天文はギリシャ人が伝えた紀元前数世紀のカルデア人の天文である。欧米の知識層ではO.Neugebauerの「The exact sciences in Antiqyity」(1969,1957初版)p.101-102などにより、バビロニアで数理天文学が発達したのはBC2,3千年の古代では無く、ギリシャ人がカルデア人と呼んでいた新バビロニア王朝(カルディア王国)より新しいBC5世紀頃(19年7回の閏月の発見)からで、さらに発達したのがアレキサンダーのメソポタミア征服後のセレウコス朝時代(BC306~)であったことが1950年代には常識になった。しかし日本では、明治時代の「羊飼い物語」と同じく「カルデアの天文」を「シュメールの天文」に呼び替えただけの話が残ってしまった。最近はそれにとんでも科学が尾ひれをつけている。

    西洋史教科書(旧制中学用) 有賀長雄 三省堂書店 明治三十七年(1904)

    第三章 メソポタミアの諸国民 カルデア、アッシリア、バビロニア
    土地 アジアの西南部に於て、ペルシャ湾に注ぐ二大河をエウフラト、及、チグリスとす。其の潤す処、亦、早く開けて、西洋文明の源泉を為せり。此両河の間をメソポタミアと称し、北部は、山多しと雖、中部に平原ありて、ペルシャ湾に近づくに従い土地、益、豊穣なり。(注1)
    (注1)今は水理を修めざるに因り、藪澤淵叢すと雖、古代の国民が、灌漑のために掘りたる溝池の遺跡、国中に縦横せり。
    人民 これ平原に、黄色人種(注2)ありて、十分発達したる、文学技藝を有したりしが、後にセム族の為に征服せられ、遂に、三種族雑合して、所謂、カルデア国民を為せり。
    (注2)其の黄色人種の名を、アッカド人、及、シュミール人と云へり。

    (甲)カルデア 
    カルデア 紀元前三八〇〇年の頃、カルデアにサルゴン一世と云へる王あり。始めて、全国を統一しアガデに都して、大に、文学を奨励したたり。(注3) 此国にて用いし文字は、所謂、楔形文字にして、粘土板の両面に刻して、之を焙きたり。(注4)
    (注3)アッカド人、シュミール人の文学、及、天文に関する文章を、セム語に翻訳せしめて、之を図書館に納めたり。
    (注4)アッカド人、及、シュミール人は、元、象形文字を用いしが、後に変じて楔形文字となれり。カルデア人は、此字体を襲用せしなり。
    カルデアの宗教 カルデアには二種の信仰行われたり。呪詛、及、占星(注5)の術是なり。是、此国の宗教なり。
    (注5)アッカド人、シュミール人は、アジア北部に流行する、巫現の事を信じ、吉凶は、皆、鬼神の致す所なりとなし、又之を征服したる、セム族は、日月星辰を以て、人の運命を支配するものとなせり。此の二種の信仰混合せしなり。
    カルデアの天文 カルデア人は天文数理に精通し、日月の食を前知し、黄道を十二支に分かちて、星宮に命名し、一年を十二個月と為し、一昼夜を二十四時間と為し、一時を六十分に分ち、並に七曜の利を立てたり。


                    


2018/07/27 改版
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