『孔子の時代からの古代北極星の変遷の研究』の発表について

ー 孔子の時代の北極点に星(北極星)はあった ー



1.はじめに

 論語には『子曰,為政以徳。譬如北辰居其所,而衆星共之。』【為政第二】(政(まつりごと)を為すに徳を以ってす。譬(たと)へば北辰の其の所に居て,衆星の之に共(むか)ふが如し)とある。この文にある北辰は北極星とほとんどの論語の解釈書で訳されている。
 しかし,福島久雄『孔子の見た星空』(1997)p.1は,孔子(BC552-BC479)の時代の星空を市販ソフト(ステラナビゲータ)で再現し(図1),孔子の時代には,北極付近には顕著な星はなく,歳差運動により『孔子の見た北天には「北極星」と呼ぶような星はなかったのである。』とした。(この星図は星の等級を5.0等星まで絞った星図だった。)

 これに対し,種村和史『孔子が見た『北辰』は『星無き処』だったのか?─『孔子の見た星空』』[東方 ( 205 ) 16-19 1998年03月]は,唐宋では見えるか見えないかの星(キリン座のΣ1694,HR4893,5.28等)を「極星」としていたというように,孔子の当時の北天も五~六等星程度の星まで視野に入れて候補を探すように提案した。しかしその指摘は無視され現在に至っている。

 
 

2.孔子の時代の実際の星空

 同じソフト(ステラナビゲータver.7.0 2004)で,表示する恒星の等級を肉眼の限界等級とされる6.6等星まで下げて表示させたのが以下の図2である。図1ではこぐま座とおおぐま座の間には星が数個しか無いが,図2では同じ北極圏の星域に数えるのも大変なくらい多くの星があることがわかる。孔子の時代に無いとされた北極点にも6.0等星星HIP63340(HR4927)がある。これはBright Star CatalogueではHR4927とされる星である。この星(HR4927)が孔子の見た北辰(北極星)である。

 中国星座を構成する星約1460個の内5.0等星より明るい星は約800個(55%)しかない。したがって光度を5.0等までに絞った星図では中国星座は描けず、そのような星図で中国の星の話をすること自体が間違っている。

 「孔子の時代には、天の北極(北辰)には星がなかったのです。」と事実のように書いているHPを見受けるが,全て『孔子の見た星空』(1997)の受け売りである。図2のように孔子の時代の北極点に星(北極星)はあった。孔子の見た北辰が北極点とするのならば,この星(HR4927)が孔子の見た北辰では無いということの論証が必要である。

 
図2 ステラナビゲータでの6.6等星までの星図  

 現代に比べ屋外に明るい照明の無い古代の夜空は暗い。現代でも,例えば,モンゴルで見る空は暗い。街中でもアンドロメダ星雲のボヤとした光が肉眼で確認できる。またモンゴルの峠で見た星空では日本では見ることも難しいオリオン座の下にあるうさぎ座の四角の中に多くの星を数えることができた。ちょうど図2のような星空だった。したがって孔子の時代の6等星の星は「見えるか見えないかの星」ではなく,「苦もなく見える星」である。肉眼の限界等級は空の暗さに関係しており,古代では現代よりもっと見えた。

 福島久雄『孔子の見た星空』(1997)には,北極星は明るい星という思い込みがある。これは近代の天文家に共通するものである。しかし,唐から宋代の北極星HR4893(Σ1694,5.28等)が5等星より暗い星である以上,中国の古代の北極星の条件は「北極点に近い星」(不動の星=北極点から1°以内)というだけで,「明るい星」という条件は無いという事実に気づいていない。北極星は明るい星というのは,北極星は明るい星でないと役に立たなかっただろうという想像にもとずく,なんの根拠もない現代人の思い込みである。現在の北極星(こぐま座α)の前の北極星は紀元前2800年頃りゅう座α(ツゥバン)という説明がよくなされているが,この5000年の間,北極点の近くにある北極星を誰も利用しなかったという方がありえない推定である。

 図3において「明るい星」∩「北極点に近い星」の条件にあてはまる星は現在の北極星(αUMi)のみ。HR4893は中世の中国で北極星として認められているので,「明るい星」は中国の北極星の条件ではない。当然ながら,明るいだけの帝星(HR5563,βUMi)も北極星ではない。これは一番簡単な集合の問題である。帝星(HR5563,βUMi)は現代人がその明るさから間違って北極星に同定してしまっただけである。帝星を北極星とする古代の文献は無い。

図3 古代中国の北極星の条件

 

3.北極星の同定の発表

 これらの北極星の同定について数学史研究 (236号)『孔子の時代からの古代北極星の変遷の研究』で発表した(2020/09)。同論文では孔子の時代の北極星に加え,これまで隋唐の北極星HR4893と同一星と誤認されていた,後漢から南北朝の北極星についても宋史天文志に残る記述からHR4852と同定した。

 図4 BC500年の北天の星空と北極星の変遷 (HR番号-等級 星名)
注:小さい●はその年代での北極点の位置。

 図5 北極星の変遷と北極点からの角度

 

4. まとめ

 福島久雄『孔子の見た星空』(1997)は発表当時から,最新の天文ソフトを使い検証し,古典でも考証していることから,天文ファンに支持された。現在では「孔子の北辰は北極星ではない」とWEBに明記している人も多くいる。しかし,漢文学者の種村和史氏でさえ発表時すぐに指摘しているように,眼視可能な5等星より暗い星の北極星の考察がまったくされていないという科学的検証における重大な不備があった。

 孔子の見た北極星については,2500年後に出版された検証もされていない一冊の単行本により,なかったことにされてしまう危険性があった。査読もない記事や単行本の一見科学的な情報を単純に信じることの危険性の教訓となる。

 



2021/01/19 図5追記
2020/12/08 表題および項目3修正
2020/09/21 項目4追記
2020/09/13 論文発表
2020/08/06 UP
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