古代ギリシャでも孔子の見た北辰を北極星と呼んでいた



1.はじめに

 福島久雄『孔子の見た星空』(1997)p.15-16は,孔子(BC552-BC479)の時代のに北極星がなかったことを印象づけるために,英語の「Pole star」の辞書(OED)への初出を1555年とし,香西洋樹氏の『シェークスピアの「ジュリアス・シーザ」の台詞「俺は北極星のように不動だ」から,シェークスピアが歳差を知らなかったから,シーザが言うはずのない台詞を書いた』という主張を紹介している。

 しかし,古代ギリシャにも北極星(Pole star)という星があった。このHPに1996年から掲載しているエラトステネスの星座物語 [LES CATASTERISMES D'ERATOSTHENE]こぐま座にそれはある。 後半部分のP.M.Halmaのフランス語版とgoogle自動翻訳は以下である。
 

Elle a une étoile brillante à chaque angle du quadrilatère, trois brillantes a la queue; en tout sept. Sous la seconde des étoiles occidentales est une autre étoile qu'on nomme pôle, sur laquelle il paraît tourner.

四角形の各隅に明るい星があり、尾に3つ明るい星があります。 西の星の2番目の下には、極(Pole)と呼ばれる別の星があり、その上を回転しているようです。

 この文ではこぐま座の7星の他にもう1星Poleと呼ばれる星があり,その周りをこぐま座が回っているようだとしている。原文では星の名前を「πόλος」(ポロス)としている。したがって,古代ギリシャの時代から北極星とその言葉はあった。
 

2.古代ギリシャの北極星の同定

 『CATASTERISMES』の記述から古代ギリシャの北極星を同定する。
 訳文では「西の星の2番目の下」としている。この星がどの星であるかを検討する。星は東の空から出て西の空に沈む。したがって,西は進行方向になる。進行方向の最初の星は[βUMi]のとなり,2番目の星は四角形のつけねの尾がついている星[ζUMi]になる。

 図1がBC600年頃の星空を描いた星図である。図1のようにこぐま座を横にする構図の場合,2番目の星の下はちょうど北極点になり,その下に星HR4927がある。この星は孔子の見た北辰(北極星)に同定される星である。この星の近くに北極点があるので,こぐま座はこの星(HR4927)を中心にして回っているように見え,本文の記述にも合致する。 エラトステネス(Eratosthenes, BC275-194)はBC3世紀頃の人物であるが,実際に『CATASTERISMES』の著者であるかは不明である。Pole Starの名称はHR4927が北極点に近づいたBC7世紀前後まで遡るだろう。

  図1 BC600年の星図(6.6等星まで)  

 

3.ギリシャ語・ラテン語辞書での北極星

 ギリシャ語辞書「Greek-English Lexicon」OXFORD (9th ed. 1968) p.1436では「πόλος」の訳に「Pole-star」が[Eratosth. Car. 2]から引用されている。したがって,北極星「Pole-star」は古代ギリシャにもあった。その頃英国は存在していないのだから,英語の辞書(OED:Oxford English Dictionary)にあるかどうかは関係ない。OED掲載された年(1555)は英国人がルネサンスの文献などで北極星を認識した年にすぎない。

 ラテン語辞書「OXFORD LATIN DICTIONARY」(8th ed. 1982)p.1398の「polus」の訳では建築家ウィトルウィウス(bc80-70 ~ ad15,Vitruvius, de Architectura )の9.4.6.から次の黒字の文を引用して「the pole star」の用例としている。

In summo per caudas earum [esse dicitur] item serpens est porrecta, e qua stella quae dicitur polus elucet contra caput maioris septentrionis;

ヘビの尻尾で伸ばされるとも言われている。
それから,それは北の過半数の頭である極星と言われている。

 冒頭の香西洋樹著『シェークスピアの星物語』(1998)p.77の話はローマ時代には北極星はないことを前提に書いているが,古代ローマにも極星(POLE STAR)の概念はあった。また1600年頃にも北極星(αUMi)は北極点から約3度離れており,東西に6度も動き止まっていなかった。「北極星は不動」という比喩は昔ながからの言い伝えの可能性が高い。

4.まとめ

 今回の検証により古代ギリシャにおいても,中国と同じ孔子の見た北辰・北極星(HR4927)が「Pole Star」として認識されていたことを明らかにすることができた。福島久雄『孔子の見た星空』(1997)は孔子の見た北極星と共に古代ギリシャの北極星も消し去ろうとしていたことになる。

 古代ギリシャの北極星も,中国古代の北極星と同じく,[β UMi]や[α UMi]若しくは北極点と混同されているが,現代人の思い込みに過ぎない。紀元前7世紀前後という古い時代に6等星という暗い星が北極星として認識されていたという事実を,現代人の常識から受け入れられないのである。

 

 



2020/08/23 UP
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