水落遺跡から天文観測設備が発掘されていれば「占星台」の論争は決着したが、天体観測設備も漏刻と
同様移転を繰り返したので、水落遺跡の「漏刻臺」から天体観測設備の物証は発掘されていない。
ここでは水落遺跡の「漏刻臺」に天文設備があったことの状況証拠をまとめる。
1.漏刻の校正には時計が必要
校正された漏刻であれば日時計による正午の時刻で進み/遅れの微調整は可能である。しかし、漏刻の校正や故障の場合の代用としては1時間単位で精確に測ることができる基準時計が必要である。それには、渾天儀を使った天文観測(太陽や恒星の赤経の測定)が不可欠。水落遺跡の漏刻には設置運用する技術者も来日したと思われ、渾天儀もそれに伴って伝来した可能性が高い。
2.子午線を意識して建設されていた
漏刻の設置場所は地理的条件とは無関係にもかかわらず、水落遺跡の漏刻臺は南北の子午線を意識して建設されている。国土地理院のwebで測定すると概略以下。
・水落遺跡建物の中心点:東経 135度49分5.80秒
・天香久山の山頂三角点:東経 135度49分5.86秒
(2地点の距離は約1.7km。)
計算上の東西のズレは1.5mしかない(1.5m / 1700 m =3分)。9m四方の建造物なので真北に天香久山の山頂があることになる。なお、文献3では基壇中央座標値との差を3cmとしている。
従って、可搬式の渾天儀であっても昼間でも精確に南北線に合わせた設置ができていたことになる。
昼間の目標にするために、山頂には白妙の布がひるがえっていたかもしれない。持統天皇の歌は万葉集の歌の順序から、飛鳥浄御原宮で詠まれたとの解釈もある。(『私注』)藤原宮からは東南方向だが、飛鳥宮からは真北となりその意味も重くなる。また、「天香久山になぜ衣を干したのか?」という素朴な疑問も氷解する。(持統天皇は645年生まれで天智天皇の水落遺跡の漏刻の落成時(斉明天皇6年(660)5月))には14歳。667年の大津宮遷都の21歳まで飛鳥宮にいたことになる。天武/持統天皇時代の飛鳥浄御原宮は水落遺跡より数百m東南の地域にある。飛鳥浄御原宮の漏刻臺の場所は不明。)
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3.露天の屋上
枕草子の記述のように漏刻臺の屋上が露天であれば、平屋の建物群を避けて宮中近くの陰陽寮内で天体観測ができる場所となる。わざわざ都の外に観測場所を作るメリットは無い。時刻測定のための天体観測なので地平線近くの星域を使う必要も無い。後の時代の漏刻臺も陰陽寮内に設置されたが水落遺跡ほどの重厚な基礎工事は必要ないことがわかり、されなかったので、場所を特定することもできなくなったと考えられる。水落遺跡の基礎工事は輸入元の中国からしめされた仕様によるものと考えられる。
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漏刻臺の概略図
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4.平安時代の漏刻臺に渾天図が設置されていた
平安時代の記録(中右記)に、漏刻を置いた鐘楼に「渾天図」(天球儀と考えられる)が置かれていた記述がある。この「渾天図」は平安京の鐘楼が建てられた平安遷都(794)以前より、代々の鐘楼に置かれて来た可能性がある。この天球儀は現代へは伝わらず製作年/製作場所等は不明。
5.唐・太宗期(626-649)に描かれた星図(『格子月進図』)が土御門家に存在していた
『格子月進図』は土御門家に伝わっていた星図を室町時代に書写したもので戦前の空襲で消失したが写真が残された。筆者の年代推定では原図は唐・太宗期(626-649)に描かれたものとした。星図は更新されるものなので描かれた頃に日本に伝来した可能性が高い。
6.「水落遺跡は天文観測に適さないとする説」は誤り
例えば文献5のp.124では『水落遺跡のすぐ西には甘樫丘があるので、西方の空の半ばは観測できない。占星台は、四方の空を見通せすことができる小高い丘や山の上に設置されたのだろう。飛鳥では適地見つけるのが難しい。』としている。文献6のp.20にもこの説を引用し「水落遺跡のすぐ西には甘樫丘と呼ばれる小高い丘があり、水落遺跡の場所は、西の空を観測するには適していないという反論もあります。」としている。しかしこれは多分に感覚的な記述であり科学的な測量によるものでは無い。 国土地理院の地図で簡易的に調べるてみても、水落遺跡の標高は101.5m、甘樫丘の最高点の標高は147.9m、その間の距離が265mなので平地から見ても丘の高度は9.9度、10m上がった建屋の上だと7.8度となる。したがって「西方の空の半ばが見えない」とするのは明確な誤りで、西方の一部が最大で10度見えないだけである。 したがって水落遺跡は天文観測の場所としても問題はない。
参考文献
1.木下正史 「古代の水時計と時刻制」 「時の万葉集」高岡市万葉歴史館論集4に収録、風間書院(2001) 2.国立飛鳥資料館編 「飛鳥の水時計」 飛鳥資料館図録第11冊(1983)
3.木庭元晴 「飛鳥時代の水落天文台遺跡から観測された天球」 関西大学文学論集67巻1号(2017)
4.岩波書店 「新日本古典文学体系1 万葉集一」(1999,2010第2版)
5.和田萃 「飛鳥 −歴史と風土を歩く−」 岩波新書 850 (2003,2007第9刷)
6.奈良県飛鳥村・関西大学文学部考古学研究室「水落遺跡と水時計 解説書」(2015)
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