『格子月進図』の星位置データの読み取りについて



     

      『格子月進図』は戦前の空襲で焼失したため現在は写真版でしか残っていない。またその中で房宿から斗宿にかけては写真のピントのせいか原紙が薄くて読みづらいが、薄れた文字を上書きしてあることもあり全然読めない状態ではない。例として房宿、心宿、尾宿の部分を以下に添付する。赤い星は各星宿の距星である。

     中村士著「古代の星空を読み解く」東京大学出版会(2018)p.163では「去極度の測定は、写真が不鮮明だったり距星が同定できなかったりしたため、年代推定に利用できた星の数は21個だった。」としているが、下記写真で分かるようにどの距星も特定できないほど不鮮明ではない。(このページの最下部に【奎宿】を除く全ての星宿の星と距星の図を掲載)
          【房宿から尾宿付近】


    『格子月進図』は複製も発行されており、大崎正次「中国の星座の歴史」(1987)では、28宿の距星に加え、163星の同定が明確な星を使ってその位置データと最小二乗法での結果を発表している。 したがって、28個の距星のなかで7個も判別できず、21個しか利用できていないのは不思議である。その不完全なデータをもとにした計算結果から「「格子月進図」はその外見に反して,内容的にはキトラ星図と大差ないことが判明したことになる。」としているのは理解できない。計算に使用したデータが不完全であっただけである。

    ちなみに筆者や大崎正次「中国の星座の歴史」の計算結果と比較すると以下である。
    「古代の星空を読み解く」p.163 宿度:485±20年(90%信頼度 残差:0.8度)  去極度:545±90年(90%信頼度 残差:2.1度)
     筆者の計算値         宿度:464±52年(90%信頼度 残差:0.8度)  去極度:417±18年(90%信頼度 残差:1.2度)
     なお大崎正次「中国の星座の歴史」(1987)では距星の取り違いや去極度の読み方の違いがあるが以下となっている。
     「中国の星座の歴史」p.270  宿度:計算無し              去極度:319±58年(標準偏差  残差:1.22度)
                        90%信頼度に筆者が換算すると  去極度:319±18年(90%信頼度  残差:1.22度)
     「古代の星空を読み解く」p.163では偏差値の結果から宿度より去極度が不正確であることを問題にしているが、 大崎正次と筆者の結果は同じく残差1.2度で±18年である。また宿度も残差0.8度で±20年(90%)しかないのも不思議である。筆者のシミュレーションでは宿度の表示が1度単位の場合観測誤差が0.0度であっても±24年(90%)という結果だった。残差0.8度は観測誤差1度ぐらいに相当する。この計算結果の原因を「古代の星空を読み解く」p163では「格子間隔の不揃いとフリーハンドによる星座の描き方」として星図に原因をおしつけているが、他2者の去極度の偏差の計算値が一致しているので、データの読み取りや計算法に問題があるのは明らか。「中国の星座の歴史」には読み取ったデータも掲載されているので比較されてみてはと考える。

     以下の表6は筆者が『最小二乗法による古代星図の年代推定』で数学史研究に発表した読み取り値とそれによる計算値である。筆者と「中国の星座の歴史」の去極度による中心年が違うのは、以下の表のように目盛りの読み方が違うのと(大崎正次は赤道両側の±0.5度を無視している)、距星の同定の違いによる。なお、一行が編纂した大衍暦の値もならべて比較しているが、大衍暦の値も『格子月進図』と同時代の測定値であることが分かる。渡辺敏夫はその著者「近世日本天文学史(下)」(1987)p.762で一行の値と比較して『格子月進図』の年代を大衍暦制定の大略720年以降と推定したが、大衍暦宿広度が測定されたのは大衍暦編纂の720年頃ではなく、実際には363年頃(±43年,90%信頼度)だった。したがって、720年以降とする渡辺の推定はその前提が崩れ誤りである。


     「古代の星空を読み解く」で誤差の原因の一つとした「格子間隔の不揃い」も格子を目盛りの基準として読み書きするのであるから、「格子間隔の不揃い」により誤差が発生する理由はない。例えば経度90度緯度10度の地点を目盛りが書かれたグラフ用紙の上に描く場合、どんなにグラフ用紙の格子の間隔が歪んでいようが、目盛りの経度90度緯度10度の地点に描くことができ、また読み取れる。格子の間隔が不揃いでも誤差は発生しない。 著者が「フリーハンド」で描かれていることを前提としているので不揃いを誤差の原因にあげているのである。しかし、星図を描いた人物が「フリーハンド」で描いたのであれば、わざわざ縦線366本横線100本近くで格子を描く苦労は無意味であり、他の星図のように赤道1本と距星経線28本で十分である。逆に格子が描かれていることは星の位置がフリーハンドでは無いという傍証になっている。また写真の「格子月進図」は原図からの写した図であることは図にかかれている記述より明らかである。このような図を複写する場合簡単で正確なのは「針」を使い写す方法である。しかしその方法を取らなかったのは原図も格子を使い描かれていたためと思われる。

     また以下図より分かるように距星が宿経線の真上には記されていないことを問題にしているが、これを大崎正次 「中国の星座の歴史」(雄山閣,1987) p.268で以下のように解釈している。
    『月進図では、二十八宿の距星は、それぞれの宿の経線より太い初度の経線の上には決して記さず、その線の右か左か半度離れたところにに距星の位置を示すという、なかなか気をつかった心にくい表現法をとっている・・・』
    結局距星の赤経は『格子月進図』に記載されている宿広度と同じである。
     なお本HPの『格子月進図』のデータは国立天文台保管の写真図の複写から読み取りを行い、全体で1475星余りの位置データを読み取った。これらの読み取ったデータと同定をもとに最小二乗法で計算した推定年代を含む古代星図の年代推定は数学史研究で『最小二乗法による古代星図の年代推定』として発表した。

     例えば以下の[騰蛇]という複雑な星座は一見フリーハンドに見えるが、系統的なずれはあるがこの並びで実際に星が存在する。
     ちなみにキトラ天文図ではこのような暗い星座は省かれている。描かれている星図の数は全体の1/4ぐらいしかない。
    【格子月進図原図】

     [格子月進図(黄星)とその同定図(赤星)。緑星はBSC星表]

     以下の同定図を比べるとキトラ天文図のような実際の星空にもとづかないフリーハンドの星座絵とは全く違うレベルの星図であることがわかる。この星図を「「格子月進図」はその外見に反して,内容的にはキトラ星図と大差ないことが判明したことになる。」としているのは理解できない。

    【格子月進図(黄星)とその同定図(赤星)】


    【キトラ天文図と(橙星)と月進図同定図(黄星)】


     また『格子月進図』は平安時代に安倍泰世により作られたものと説明されている場合があるが、『格子月進図』の後書きには「以家本寫之 散位従四位下安倍朝臣泰世」(家本を以て之を写す)とあり、「作った」とするのは単純に誤った説明である。安倍泰世は後書きにあるように家に所蔵の原本を写しただけである。


      【角宿から心宿の距星】

      【尾宿から女宿の距星】

      【虚宿から壁宿の距星】

      【婁宿から井宿の距星】

      【鬼宿から軫宿の距星】


出典:平凡社 別冊太陽 1991春号「占いとまじない」p.38より
   (この雑誌に掲載されている写真には奎宿付近の写真図が欠けている。国立天文台蔵の写真では奎宿も鮮明である。)



2019/03/04 表6を追記。
2019/02/17 格子の記述を追記。
2019/01/20 同定図を追記。
2019/01/14 計算結果比較を追記
2019/01/12 距星図等を追記
2018/12/25 Up
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