古代直線道の正方位測定法がインディアンサークル法ではない根拠


     
    1. はじめに

       昨日届いた「条里制:古代都市研究 第39号」に入倉徳裕著「古道・条坊の設定基準と方位の測定精度」という論文が掲載されているのをみて期待したのだが、内容的にはこれまでの、「推古朝での3古道同時建設説」に基づくもので期待が外れた。方位測定法としてもこれまでのインディアンサークル法によるものを想定している。
       この論文ではゴセット(William Sealy Gosset)のt分布を用いて、「上・中・下三道は、真北を基準に設定されたが、測定精度の低さから実例の方位となった可能性を棄却できないのである。」(「同論文」p.126)として、インディアンサークル法による測量の可能性を残している。

       このページではこの推定に問題があることを解説する。

     
    2. 論文に示された方位など

       まず3道の方位について以下の値を示している。(表の一部のみ。直角座標系、マイナスは西偏)
        道路距離(km)方位(分)
        上ツ道8.09(km)-36
        中ツ道15.76(km)-49
        下ツ道22.60(km)-18
        真北からの方位は6~7分(西偏)を加える。

       これらの値による平均方位は-34'18"、標準偏差は15'36"としている。ただし、これらの標本はわずか(3個)しかないので、これらの値によりゴセット(William Sealy Gosset)のt分布を用いて、母集団の母平均の位置をもとめ、99%の確立で東偏54'52"から西偏123'32"の間にあるとしている。これには真北が含まれているため、「上・中・下三道は、真北を基準に設定されたが、測定精度の低さから実例の方位となった可能性を棄却できないのである。」としている。すなわち、インディアンサークル法で測定された可能性があるとしている。

     
    3. この推論が成り立たない理由

       この推定の前提は、道路の起点で方位を測定し、それを直線で延長したとしていることになる。途中で方位を測定し直せば、平均として誤差は相殺され、道路は真北を向くことになるから当然である。また、直線道路は文字通りカーブしていないので、方位の誤差は起点での方位測定にあることになる。直線を逐次延長する場合にも、誤差は相殺され、一方方向にずれることは少ないのだろう。

       ここでインディアンサークル法での方位の測定精度を確認すると、小澤毅「日本古代の測量技術をめぐって」(2016)p.6の実測値では東西の誤差が数分に収まったとある。また直角を出す誤差を4~5分以内としているので、合計で10分以内となる。また、宮原健吾臼井正著「日本古代の墳墓と都城」(2006)p.357での実測では真北から西へ1.3分±2.3分が得られたあとする。したがって、日常的に測量をしていない人でもインディアンサークル法を用いれば、10分以内の誤差で真北を測量できることになる。

       一方、上記表の道路の方位を見ると、真北から24分~55分の誤差があり、測量に手慣れた人がインディアンサークル法で測定したものでは無いことは明白である。

     
    4. 下ツ道は「ジグザグの道」だった

       筆者は20024年1月に「方位による下ツ道の建設年代の推定」を発表した。発掘結果によると、下ツ道は従来考えられていたような直線道路ではなく、3つの区間に分けて建設された「ジグザグな道」だった。下ツ道は直線道であるという思い込みから、平城京の朱雀門から丸山古墳まで直線で引いてしまったので、このジグザグの構造が発見できていなかった。
       この結果を見ると、同じ太陽を用いたインディアンサークル法で測量をしていたのであれば、このような結果になることはなかったことは明らかだ。すなわち、この時代に用いられた測量法は真北を向いておらず、最初から決まった偏位をもった測量法なのである。このことは、藤原京や平城京、平安京などの都城の造営方位にも共通している。
       例えば下ツ道の最初のA区間内で測定された方位のみで統計をとれば、その偏差の範囲に真北が含まれないことも明らかである。このことからも、下ツ道、中ツ道、上ツ道の3つの道の方位を3個で代表させて、評価すること自体が誤りであることを示している。

     
    5. まとめ

       北極星による方位の測定は年代により違うので、それを考慮せずに統計を取った場合には、当然偏差が大きくなり、インディアンサークル法で測定される「真北」を含んでしまう。統計的に考えるのであれば、それぞれの道ごとに、多くの発掘結果をもとに、平均値と偏差を考える必要がある。この発表のように、3道の3つの方位をもとにt分布で計算される母集団の平均値の範囲に意味はない。

       また、用いられている中ツ道や上ツ道の方位も再考の必要もある。中ツ道の方位49分(西偏、方眼方位)は、藤原京や平城京の条坊路との接続道も含まれており大きすぎる。実際には33分(真北から。方眼方位で26分程度)程度である。上ツ道は現時点では一箇所しか発掘されておらず、方位は確定できない。36分(西偏。方眼方位)は条里制の影響を受けた現在残っている道の方位と思われ、これは奈良時代初期の中ツ道の影響が大きい。実際には、下ツ道と同方位で建設された可能性が大きい。詳しくは「古代の正方位直線道路の方位による年代推定」を参照。



2024/04/25 4項追加、5項修正 2024/03/20 掲載

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