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2. 論文に示された方位など
まず3道の方位について以下の値を示している。(表の一部のみ。直角座標系、マイナスは西偏)
道路 | 距離(km) | 方位(分) |
上ツ道 | 8.09(km) | -36 |
中ツ道 | 15.76(km) | -49 |
下ツ道 | 22.60(km) | -18 |
真北からの方位は6~7分(西偏)を加える。
これらの値による平均方位は-34'18"、標準偏差は15'36"としている。ただし、これらの標本はわずか(3個)しかないので、これらの値によりゴセット(William Sealy Gosset)のt分布を用いて、母集団の母平均の位置をもとめ、99%の確立で東偏54'52"から西偏123'32"の間にあるとしている。これには真北が含まれているため、「上・中・下三道は、真北を基準に設定されたが、測定精度の低さから実例の方位となった可能性を棄却できないのである。」としている。すなわち、インディアンサークル法で測定された可能性があるとしている。
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3. この推論が成り立たない理由
この推定の前提は、道路の起点で方位を測定し、それを直線で延長したとしていることになる。途中で方位を測定し直せば、平均として誤差は相殺され、道路は真北を向くことになるから当然である。また、直線道路は文字通りカーブしていないので、方位の誤差は起点での方位測定にあることになる。直線を逐次延長する場合にも、誤差は相殺され、一方方向にずれることは少ないのだろう。
ここでインディアンサークル法での方位の測定精度を確認すると、小澤毅「日本古代の測量技術をめぐって」(2016)p.6の実測値では東西の誤差が数分に収まったとある。また直角を出す誤差を4~5分以内としているので、合計で10分以内となる。また、宮原健吾臼井正著「日本古代の墳墓と都城」(2006)p.357での実測では真北から西へ1.3分±2.3分が得られたあとする。したがって、日常的に測量をしていない人でもインディアンサークル法を用いれば、10分以内の誤差で真北を測量できることになる。
一方、上記表の道路の方位を見ると、真北から24分~55分の誤差があり、測量に手慣れた人がインディアンサークル法で測定したものでは無いことは明白である。
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4. 下ツ道は「ジグザグの道」だった
筆者は20024年1月に「方位による下ツ道の建設年代の推定」を発表した。発掘結果によると、下ツ道は従来考えられていたような直線道路ではなく、3つの区間に分けて建設された「ジグザグな道」だった。下ツ道は直線道であるという思い込みから、平城京の朱雀門から丸山古墳まで直線で引いてしまったので、このジグザグの構造が発見できていなかった。
この結果を見ると、同じ太陽を用いたインディアンサークル法で測量をしていたのであれば、このような結果になることはなかったことは明らかだ。すなわち、この時代に用いられた測量法は真北を向いておらず、最初から決まった偏位をもった測量法なのである。このことは、藤原京や平城京、平安京などの都城の造営方位にも共通している。
例えば下ツ道の最初のA区間内で測定された方位のみで統計をとれば、その偏差の範囲に真北が含まれないことも明らかである。このことからも、下ツ道、中ツ道、上ツ道の3つの道の方位を3個で代表させて、評価すること自体が誤りであることを示している。
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