「カルディア人羊飼い説」が「都市伝説」である理由




**************************************************************
このページは2016年に書いた記事です。
最新情報は「星座の起源・カルディア人羊飼い説」の成立過程を見てください。
**************************************************************


1. はじめに

 「星座の起源・カルディア人羊飼い説を考える」をUPしてからもう20年にもなりますが、いまだに天文の書籍、雑誌やHPに(多分プラネの説明なんかにも)「カルディア人羊飼い」を記載されてる方がいるので、「カルディア人羊飼い説」の間違いの理由を具体的に記述してみました。以下を読んで恥ずかしくなって「削除」してくれる事を期待します。何しろ創作され脚色された「都市伝説」を科学と信じて広めているわけなので。

再度野尻抱影氏の星座の起源の話を書くと以下です。
「初めバビロニアに星の知識を伝えたのは、B.C.3000年頃、東の山岳地方から侵入してきて、そこに建国したカルディア人であった。彼らは放牧民であったので、夜をこめて羊の番をする間に星空に親しんで、星を”天の羊”、惑星を”年寄りの羊”と呼んでいた。そして星占いを深く信じていたので、その必要から、太陽が空を一年でめぐる黄道を12の星座に分け、その他の部分にもそれを考えていた。」
 野尻抱影編「星座・第2章バビロニアの星座より」恒星社厚生閣


2. 欧米の「カルディアの羊飼い説」

まずWEBで「Chaldean Shepherd」を検索すると古い資料(1800年代前半)として次の資料が出てきました。  ・"Chaldean Shepherd"関係の英文資料

資料から1800年代前半(1814〜1852年)既に「Chaldean Shepherd伝説」が広まっていたことが分かります。(キリスト教系と思われる出版物が多い)
 「Chaldean Shepherd」は
  ・羊の番をする間に星空に親しんでいた。
  ・動かない星を星座として認識していた。
  ・変化のある動き例えば惑星の動きを観察して占ったり、報告したりした。
  ・天使がキリストの降誕を告げた「羊飼い」にも関連する。
    (余談ですが、東方の3博士にはカルディアの占星術師もいたとされる。)

バビロニアの楔形文字が解読されたのは1857年なので、この伝説は発掘資料に拠らず、ギリシャの古典や聖書などの情報に拠っていることが分かります。従って、ここで書かれている「Chaldean Shepherd」は前7世紀の新バビロニア以降のカルディア人、若しくは旧約聖書の伝説上のカルデア人に確定されます。ギリシャの古典では前3世紀辺に占星術を行うカルディア人が現れたとのことなので、黄道12星座で占星術を行ってもなんの不思議も無いわけです。(*注)
また「Chaldean Shepherd」は固有名詞で、「Babylonican Shepherd」とかできないのも明白です。
本来の星座の起源であるシュメール人のシュメール語が解読されたのは1940年代です。

注:ギリシャの古典や聖書に記載の「カルディア人」については以下の文献を参照。
   ・矢島文夫「神の沈黙」p75-p121(1983)人文書院


3. 欧米の「カルディアの羊飼い説」の変遷

 1857年に楔形文字が解読され、天文学の起源が従来の古典に現れる「カルディア人」ではなく「バビロニア人」であることが分ってくると、天文の歴史の説明にも修正が必要になってきました。
例えばフランスの天文作家 Flammarionの「Astronomical Myth」(英訳版,1877)では、天幕で観測するカルディア人天文家(Chaldean Shepherd)のイメージよりも前にジグラッド(神殿)で観測するバビロニア人天文家を置いています。


Plate I. Babylonican Astronomer
Plate III. Chaldean Astronomer

従って本来はシュメール・アッカド文明が不明なこの時点では、少なくともこの書籍のように天文学や星座の起源を前7世紀以後の「カルディアの放牧民の羊飼い説」から前20世紀前後の「バビロニアの神殿の神官説」に代える必要がありました。しかし、普通の天文作家は、旧約聖書にある「カルデア人のウル」と呼ばれるウルの発掘もあり、時代だけをBC3000年に移しただけだった。

例えば「Introducing the constellation」by Robert H. Baker(1937)では、
「It is generally believed that those people were shepherds, nomands of the desert, mariners, scholars, astronomers, and others who dwelt in the Tigris and Euphrates valleys and neighboring regions. Threre is reason for believing ,too, that what have been called the original constellations wre recognized by them as early as three thousands years before the birth of Christ.」
(この例では羊飼い以外の候補を追加したのはまだましではあるが、羊飼いが先頭・・。)


4. 「羊飼い説」日本への伝来

 欧米の天文学解説書でも上記の様に「shepherds」が残されたため、日本ではさらに「尾ひれ」が付いて天文解説書などで「羊飼い説」が広まる結果となった。

4.1 「天象と地象」長谷川折夫著(大正13年,1924年)」
以下は野尻抱影と同時代の長谷川折夫著「天象と地象(大正13年,1924年)」で、ほぼ野尻本と同様の記述であす。"現在の風土・環境"から羊飼い天文家が現れた理由を詳細に説明してくれています。

(クリックで拡大されます。)

牧畜の天幕生活は聖書の中の前7世紀のカルディアの世界で、実際のシュメールやバビロニアの都市は城壁に囲まれた城壁都市で、大部分の市民は城壁の中で暮らし、壁の外では広大な灌漑農業がされていた。そのことを知っていればここまでの想像(or妄想?)は書けなかったでしょう。
参考文献
 ・小川英雄「古代オリエントの歴史」(2011)
 ・小林登志子「シュメル −人類最古の文明」(2005)

4.2 「天球と星座」山本一清編(昭和11年,1936年)」
「天象と地象」より10年を経てさらに発掘成果が入ってきています。

『[星座の歴史と境界線]の章、村上忠敬著
(途中略)
バビロニア文化に始まる
 一時は星座名とそれに纏わる神話とは、ギリシャ文明にその起源を持つと考えられてきたが、今では此の考え方は大きく覆された。近時バビロニア文化の遺物である楔形文字の解読が進歩し、多くの場合、ギリシャの星座神話及びこれと関連せる物語は、既にほとんど同じものが、バビロニア文化の流れを汲む先住民達の間に伝わっていたことが明らかにされたのである。
 バビロニア人より前にメソポタミア即ちチグリス・ユーフラテス河谷地方に住んでいたセミ族でないスーメリア人及びこれを征服してその文化に化せられたセミ族のアッカディア人などは、星のことを一まとめとして『天の羊群』と呼びならした。太陽は『老いたる羊』であり、遊星は『老羊星達』であった。又 唯今アークトルスと呼ばれる北天第一の輝星はシブジヤナと呼ばれ、星達の『羊飼』と考えられていた。

バビロニアの星座
アッカディア人はこれ等の漠然とした星に就いての考えを、ついで興ったバビロニア人に残した。ユーフラテス河畔に発掘せられる楔形文字を刻した粘土板や柱面や石垣の石などが、初期バビロニア即ちカルディア文化時代に、相当にはっきりと決められた星の名称が用いられていたことを明らかにするに至った。アール・ブラウンという人はかかる楔形文字を綿密に研究して『原始時代の星座』という書を著し、当時の星の記録について述べている。調査に用いた碑文の日付は紀元前三千年及至五百年のものがあるから、バビロニアの星座は既に紀元前三千年以前から体系づけられていたことになる。

この文章は、天文の起源を「バビロニア時代」以前の「シュメール人」を征服した「アッカディア人」としシューメール語が解読される前の発掘資料での天文の起源について伝えていますが、この方もアッカド人の時代を「初期バビロニア即ちカルディア文化時代」とし「Chaldean Shepherd」に感化されているようです。赤字の部分は「カルディア人羊飼い説」を補強する情報となっていまする。


5. 「野尻抱影氏の星座の起源説」が誤りである理由

 改めて野尻抱影氏の星座の起源を見ると以下の赤字の主旨の部分は、中近東地域での発掘成果が出る1800年代前半に成立した根拠も無い「前7世紀以後のChaldean Shepherd伝説」のままなのです。青字の部分は上記[星座の歴史と境界線]の赤字の部分と同じで発掘資料であり、結果的に「カルディア人羊飼い説」の信憑性を高める結果となっています。
 また[星座の歴史と境界線]がこの時代(昭和10年前後)の歴史認識とすると「東の山岳地方から侵入してきて、そこに建国した」民族はセム系のアッカド人と考えられますが彼らの勢力範囲は西の地域で方角も合わない。

初めバビロニアに星の知識を伝えたのは、B.C.3000年頃、東の山岳地方から侵入してきて、そこに建国したカルディア人であった。彼らは放牧民であったので、夜をこめて羊の番をする間に星空に親しんで、星を”天の羊”、惑星を”年寄りの羊”と呼んでいた。そして星占いを深く信じていたので、その必要から、太陽が空を一年でめぐる黄道を12の星座に分け、その他の部分にもそれを考えていた。

結論: 上記理由により現在の「カルディア人羊飼い説」は19世紀前半以前の欧米人による「Chaldean Shepherd伝説」が発掘資料を中途半端に取り入れ進化し生き残った『都市伝説』でしかない。



付録:『星を”天の羊”、惑星を”年寄りの羊”と呼んでいた。』について

 この部分は多くの著作で記述されており以下の「Britannica百科辞典」からの引用と思われるが、星座の起源が「遊牧民」であることを想像させる意味で引用している感もある。しかし、主語は"The Sumerians and Accadians"となっていて、本来は星座の起源とは関係ない話である。またバビロニアの星座の名前(MUL.APIN)を見ても、惑星それぞれに名前があり、また羊飼いに関係ある星座は逆に少ない。また惑星はアッカド語では現在「Wild sheep」と訳されていいる。ちなみに以下の英文にある、「star of the shepherds of the heavenly herds.」は「天の羊の群れの羊飼いの星」ではなくギルガメッシュ伝説などを参考にすると「天の民の王の星」となる。
 この項目はずいぶん昔(1936年以前)から「星座:Constellation」の項目に記載されていたと思われ、この部分を記述した百科事典の編集者自体が「Chaldean Shepherd」から着目し記載した可能性もある。

Britannica百科辞典
『Constellation :(途中略)The Sumerians and Accadians, the non-Semitic inhabitants of the Euphrates valley prior to the Babylonians, described the stars collectively as a “heavenly flock”; the sun was the “old sheep”; the seven planets were the “old-sheep stars”; the whole of the stars had certain “shepherds,” and Sibzianna (which, according to Sayce and Bosanquet, is the modern Arcturus, the brightest star in the northern sky) was the “star of the shepherds of the heavenly herds.”』

2018/06/23追記
上記Britannica百科辞典は以下の「Researches into the origin of the primitive constellations of the Greeks, Phoenicians and Babylonians」(1899) p.287の[Vl章] HOMERIC CONSTELLATIONS. から引用されているものでした。 この文章はホメロス時代の星座の説明の章でBootsとOrionの関係性を示すために記述されている文章であり、星座の起源を示すものでは無いです。Sibzianna についてもちゃんと 'lord' just as the Homeric king is the 'shepherd' of his people'と説明している。ただの羊飼いでは無い。やはり1900年当時のBritannica百科辞典の編集者が羊飼い派だったと思われる。

 『I have given in detail these facts about Bootes and his connexion with Orion, because I think they may tend to clear up one of the most difficult points connected with stellar identification in the Euphratean Sphere. We know that the stars were figuratively regarded by the Sumero-Akkadai as 'a heavenly flock,' a simile which is even found as late as the so-called Chaldaean Oracles. (ギリシャ語文 略) ( Oracle,No. cxlii.). Of these ' herds ' the seven planets were the Lubati (' Old sheep '), and the whole of the stars had certain stellar shepherds. The Ak. sib, siba, = As. ri'u, ' shepherd,' and belu, 'lord' just as the Homeric king is the 'shepherd' of his people'; and no constellation is more frequently mentioned in the Inscriptions than Sibzianna, As. Ri’ubutsame (* Shepherd-of-the-life-of-heaven * or Shepherd, Spirit-of-heaven '), a lord and guardian, called also Ri’u kinu sa sami (' the true Shepherd-of- heaven'). The researches of Messrs. Sayce and Bosanquet (Monthly Notices of the Royal Astron. Soc. Vol. XL Jan. 1880, pp. 119 et seq.) (以下略)』

 


2018/06/23 追記
2016/08/09 修正
2016/08/06 追記
2016/08/05 Up
Copyright(C) 2016 Shinobu Takesako
All rights reserved