20年間の「星座の起源・カルデアの羊飼い説の起源」追跡のまとめ。根も葉もないカルデア人羊飼い説の起源は海外の天文星座解説書と考えて天文古書を集めたが,2018年に国会図書館でその起源が明治の旧制中学の教科書にあることを発見した。野尻抱影は旧制中学で「天文の起源はBC3800年頃にサルゴン一世が統一した古代カルデア国」とする教育を受けていた。野尻抱影はこの旧制中学の知識の上に根拠も無い俗説の羊飼いの話を①星座を作ったのはカルデアの羊飼い←キリスト教国の俗説/根拠無し。ただし,カルデアはBC7世紀以後のカルデア人。 ②黄道12星座を初めとして星座ができたのはBC3000頃の古代カルデア国←明治の旧制中学教科書が根拠。 1930年頃に「古代カルデア王国」は学術書から消えた。 ②が否定された時点(1930~1957)で,野尻抱影の「星座の起源・カルデアの羊飼い説の起源」は完全に誤りとなった。しかし,令和の日本でも,校閲もかからずそのまま伝承されてしまっている。ROBERT BROWNは著書「Primitive Constellations」(1899)Vol.2 page 225-226で『作家達はしばしば彼らの無知の深さから,どのように『カルデアの羊飼い』が,見事な夜空を見つめて,星々が,これ,またはあの姿と似ていると想像していたかを私達に語った。しかし,これはすべて彼らの無知を覆い隠すための努力に過ぎない。』と120年も前に書いている。世界に誇る高等教育が行われている日本で,いまだに『カルデアの羊飼い説』を事実のように広めている,雑誌,本,HPを書いている人々は,童話の起源が判明した以上,この本の指摘する「無知」を自覚する必要がある。またカルデアをシュメールに替えただけの話も同類である。 成立と伝承の概要
⑥ 明治から昭和初期にかけてこの説は教科書をはじめ学者や作家も本や雑誌に書き大衆にも広まった。
明治から昭和初期にかけて古代バビロニアを古代カルデアとしていたことは黒歴史とされたのか
⑧ しかし,野尻抱影は戦後になってもシュメル人の東方からの侵入説を吸収したうえで古代カルデア説の伝承を続けた。
野尻抱影の著作は平成に入っても「校閲」もかからずに重版再版が繰り返された。「BC3000年に東方からバビロニアに侵入した牧羊の民カルデア人(羊飼い)の天文起源説」という誤った明治以来のフィクションを更に修正した迷信が権威に弱いためか平成も終わろうとしている日本だけで伝承され続けることとなった。また処女作「星座巡礼」で「空を斯く初めて星座に区画したのは,天文学者では無くて,紀元前三千年にも遡る古代カルデアの羊飼いです。」と根拠もなく言い切ってしまった「星座の起源羊飼い説」はROBERT BROWNの「PRIMITIVE CONSTELLATIONS」(1899)で「無知な作家」呼ばわりされたため,戦後『星の神話★伝説』(昭和23年,1948)で「牧羊民族の天文家集団説」へ修正したが,羊飼いを正式に否定していないのでこれも伝承されつづけている。つぎはぎだらけの伝説のため現在ではオリエント史の専門家にも「BC3000年のバビロニアに侵入した牧羊のカルデア人」がどの民族かを特定しようとする状態にまでなっている酷い迷信である。もともとBC3000年のシュメール人とBC7世紀以降のカルデア人がごっちゃになった話なので特定できるはずもない。 O.Neugebauerの「The exact sciences in Antiqyity」(1969,1957初版)p.101-102などによるとバビロニアで数理天文学が発達したのはBC2,3千年の古代では無く,ギリシャ人がカルデア人と呼んでいた新バビロニア王朝(カルデア王国)より新しいBC5世紀頃(19年7回の閏月の発見)からで,さらに発達したのがアレキサンダーのメソポタミア征服後のセレウコス朝時代(BC306~)であったことが1957年(昭和32年)には判明していたのは皮肉である。 現在でもこの誤った「星座の起源・羊飼い説」を唱える人々は120年前のROBERT BROWN言うところの「無知な作家」と同じである。科学技術の最先端をいく日本で高等教育を受けた人々がこのような迷信となってしまった明治の迷信をいまだに信じて本やHPで広めていることは喜劇であり,また悲劇でもある。星座の起源を科学としてではなく,おとぎ話として見ている証拠でもある。 具体的に間違っている点は以下を参照。
1.楔形文字解読(1857年)以前の欧米
欧米では「Chaldean」にはギリシャ・ローマの古典に出てくる占星術師・星学専門家という意味もある(注1)。 また「 Shepherd」はギルガメッシュ伝説では「王」として使われている。現代でも牧師のように導く者という意味もある。旧約聖書の主人公である遊牧民族の古代ヘブライ人にとって羊飼いは最も古くからある最も重要な職業の一つであるとされている。天使がイエスの誕生を告げるのも野宿をしながら,夜通し羊の群れの番をしていた羊飼いたちである(LUKE2章 8~21)。旧約聖書ではの「カルデア人のウル」のアブラハム,エジプト脱出のモーゼ,ダビデ王の幼年期など偉い先祖はみな羊飼いである。(注2)したがって楔形文字解読以前に欧米で星座の起源として考えられた「Chaldean Shepherd」は日本人が単純に考える暇な羊飼いではない。「Chaldean Shepherd」はギリシャの古典にある天文学の起源がカルデア人であることと,旧約聖書のカルデア人のウルのアブラハムなどの聖人象が融合してできた伝説と考えられる。
(注1)矢島文夫著「神の沈黙」p.118 人文書院(1983)
2. 欧米の「カルデアの羊飼い説」の変遷1857年に楔形文字が解読され,天文学の起源が従来の古典や聖書に現れる「カルデア人」ではなく「バビロニア人」であることが分ってくると,天文の歴史の説明にも修正が必要になってきた。例えばフランスの天文作家 Flammarionの「Astronomical Myth」(英訳版,1877)では,天幕で観測するカルデア人天文家(Chaldean Shepherd)のイメージよりも前にジグラッド(神殿)で観測するバビロニア人天文家を置いている。この頃のカルデア人天文家の時代は現在のカルデア人の時代(BC7世紀以降)の認識とかわりが無いことが分かる。
従って本来はシュメール・アッカド文明が不明なこの時点では,少なくともこの書籍のように天文学や星座の起源を前7世紀以後の「カルデアの放牧民の羊飼い説」から前20世紀前後の「バビロニアの神殿の神官説」に代える必要があった。しかし,普通の天文作家は,旧約聖書にある「カルデア人のウル」と呼ばれるウルの発掘もあり,「カルデアの羊飼い」の活躍した時代だけをBC3000年に移しただけだった。
例えば「Introducing the constellation」by Robert H. Baker(1937)では,
3.楔形文字解読前後の欧米楔形文字の解読がすすみ天文の起源が遡ることになっても,聖書や古典を根拠にカルデア人はバビロニア人以前に存在していたという考え方と整合した。ただこの頃の天文の知識は高度なものではない。現在でも「メソポタミアの天文の歴史と日食/月食の記録」にまとめた程度である。 例えば数十万部売れたというE.H.Burrittの「The Geography of the Heavens」(1866revised版)のorigin of the constellationの章の記述は以下となっている。
このように発掘成果を取り込みバビロニア時代以前を「初期バビロニア即ちカルデア時代」とし,天文学の起源もカルデア人であるという旧約聖書や古典をもとにした考え方が明治時代日本にも伝えられた。
4.明治日本でのメソポタミアの歴史観
国会図書館で明治旧制中学の世界史の教科書を発見。これによると,この時代のカルデア国民はいまでいうところの,シュメール,アッカド,古バビロニアの三国をまとめた呼び名であったことが明確になった。
5.明治の天文学起源論本田親二「天文学の曙光(二)」p.25-26にある「カルデア」の記述
「天文月報」の論文であることより,羊飼いとまでは言い切ってはいないが,日本でも「牧羊の民・カルデアの天文学起源説」は明治時代にはできあがっており,当時の天文学会ではまじめな常識であったことがわかる。その後の「カルデアの羊飼い物語」の構成もこの文章と似ている。
6.ウーリーによる「カルデア人のウル」の発掘1922年に始まったレオナード・ウーリーによるウルの発掘では1927-28の発掘で王墓(BC2600頃)が発見され世界に大々的に伝えられた。ウーリーもウルをアブラハムがいた「カルデア人のウル」と信じていた。(注4)この発掘をもとに野尻抱影も『星座風景』(昭和6年,1931)p.162に『星に関する知識が相当行きかっていた事実は,彼らの先祖のアブラハムの出たカルデアが,天文学発祥の地であったことと,今日での星座の大半が,旧約で名高いノアの大洪水の前後,恐らく紀元二千七百年頃に,既に空に区画されていたことからも判断されるのであります。従ってアブラハムが,カルデアのウルを出て,遠く埃及(エジプト)へ,また埃及からカナンへと,轉々していた間にも,この老人や大勢の子孫が,夜々鋼鉄色の砂漠の空にきらめく星座を指さして,神の栄光を説き,時刻を測り,明日もまた駱駝の旅を続ける方角を語り合っていたことは,これは私一個の想像ではないのであります。』(ベツレヘムの星の正体)と書き,この時期には聖書の記述と発掘成果の一致を信じていた。 (注4)「カルデア人のウル」p.13 L.ウーリー/P,R.S.モーレー 森岡妙子 みずず書房(1986) 7.野尻抱影の星座物語の登場「カルデア人のウル」の発掘と前後して野尻抱影は星座物語の最初の本『星座巡禮』(大正14年,1925) からカルデア人の羊飼い説で登場する。『空を斯く初めて星座に区画したのは,天文学者では無くて,紀元前三千年にも遡る古代カルデアの羊飼いです。彼らは長い夜々寂しい丘に羊の群れを守りながら,大空に移る星の位置で時刻を判断する習慣になっている中に,目ぼしい星を連ねて,其処に地上の動物や物の象かたちを空想し,その名をその区域に付けるやうになったのです。(中略)最初の命名者達は北緯三十八度付近に棲んでいたものに相違ない,即ち,ユーフラテスの谷に棲んでいたカルデア人であると言うところに帰着します。』『星座巡禮』p.175
野尻抱影の考え方は明治来の「天文学の起源は牧羊の民・古代カルデア」と「Chaldean Shepherd」が融合したもので,当時の欧米の聖書をもとにした考古学者の思想を反映したものである。これはまだ発掘や解読が進んでいない明治から昭和初期の時代においては,矛盾のない考え方だった。
8.古代カルデア国が世間から消える国会図書館でカルデアで検索したところ古代カルデア国は昭和5年(1930)頃を境に消えている。・「東洋美術史」田辺孝次著 玉川学園出版部 (1930): カルデア⇒古バビロニア⇒アッシリア⇒新バビロニア ・「参考世界美術読本 西洋編」小林萬吾著 杏林舍 (1930): バビロニア⇒アッシリア⇒カルデア ・「世界古代文化史」西村真次著 東京堂 (1931): シュメール⇒バビロニア⇒アッシリア王国⇒カルデア王国 ウーリーのウル発掘の報道が影響で歴史の再認識が行われたのかもしれない。 したがって,昭和5年(1930)頃に古代カルデア王国は日本からも消えていたのである。野尻本以外は。
9.野尻抱影の変説ウーリーは発掘成果を書いた「カルデア人のウル」を1929年に発行して以来新しい発見があっても1954年まで本格的な修正は行わなかったとされる。しかしシュメール文明の遺跡の発掘や粘土板の翻訳でバビロニア以前が聖書のカルデアであるという証拠はなにも出なかった。したがって「星座の起源・カルデアの羊飼い説」は全く根拠の無い説となった。(1930年前後と思われる) 野尻抱影は処女作『星座巡禮』(大正14年,1925)p.175では『空を斯く初めて星座に区画したのは,天文学者では無くて,紀元前三千年にも遡る古代カルデアの羊飼いです。』と言い切っていた。
これはROBERT BROWN「Primitive Constellations」(1899)Vol.2 page 225-226 の影響であることは明らかである。ブラウンの記述にある『作家達はしばしば彼らの無知の深さから,どのように『カルデアの羊飼い』が,見事な夜空を見つめて,星々が,これ,またはあの姿と似ていると想像していたかを私達に語った。しかし,これはすべて彼らの無知を覆い隠すための努力に過ぎない。 星は私たちの目の前にあり,作家が語る話の反対を証明してる。星座の構成者(constellation-framer)はすでに決まったアイデアと姿を心の中で持っていて,彼がその課題に向かった時には,彼の考えた姿をできる限り調和するように星々に適用した。』がこたえたと思う。野尻抱影はこの本を昭和16年(1941)に入手している。この時期バビロニアの星関係の洋書を入手し『星』昭和16年(1941)で多く引用している。いまだに『カルデアの羊飼い説』を広めている,雑誌,本,HPを書いている人々はROBERT BROWNが120年も前にその無知を指摘していることを自覚する必要がある。 また『星の神話★伝説』(昭和23年,1948)p.242で初めてカルデア人を『世紀前三千年ごろ,東の山岳地方から侵入し,そこに建国した人々」とした。これはカルデア人はバビロニアの先住民という先入観を変え,そのころのシュメール人関係の考古学の情報に依ったものと考えられる。このころはまだカルデア人は初期バビロニア人,即ちシュメール人という認識で違和感はなかったものと思われる。
『星の神話★伝説』(昭和23年,1948)p.242では黄道12星座の始まりもBC3000年ごろのカルデア人と追加し,それ以後の著作でも記述しているが,これも大きな間違いで,実際に発掘資料の根拠があるのはBC410年頃である。これも上記3項の明治の中学教科書によるものと思われる。この誤った情報をカルデア人をシュメール人に替えただけで孫引きしているHPも多いが間違いである。 ROBERT BROWN「Primitive Constellations」(1899)Vol.2 page 225-226の原文
9.野尻抱影のカルデア人は何人?明治の教科書では,カルデア国は紀元前3800年頃にサルゴン1世が全国を統一した事になっていいる。この国が野尻抱影が当初云うところのカルデア人の国である。同教科書では次がアッシリアなので,現在の歴史から云うとシュメール・アッカド・古バビロニアの3国の時代である。野尻抱影のカルデア人は最終的にはバビロニアの先住民と考えられていたシュメール人説に変わっている。例えば『星座春秋』(昭和9年,1934)p.154に『叙事詩「ギルガメッシュ」を引用しなければならない。これは英雄伝説と自然神話との融合したもので,天文知識などと同様,先住民族スメル人から伝えられたものである。』とある。「東の山岳地方から侵入してきてやがてバビロニア人に征服されたカルデア人」という表現が追記されたのは確認できた限り戦後発行の「星の神話★伝説」白鳥社(1948初版)p.242が最初である。これはシュメール人東方説(注:5)によるものと考えられる。しかしシュメール人は最初の「星座巡礼」(大正14年,1925)に記載はなく,「星座風景」(昭和6年,1931)が初出なので,当初の野尻抱影のカルデア人は明治の古代カルデア人(シュメール・アッカド・古バビロニアの3国)だったものが,ウルの発掘などを経てシュメール人に変化したと考えられる。 なお,近藤二郎「星座の起源 古代メソポタミアの星座」(2010)p.47で野尻抱影の「メソポタミアへ侵入したカルデア人」をアムル人ではないかとしているが,アムル人は古バビロニア王国(バビロン第1王朝)などをたてた民族であるので,野尻抱影の後期の記述[東の山岳地方から侵入してきてやがてバビロニア人に征服されたカルデア人],ではカルデア人を征服した民族となり明らかに間違いである。天文の起源をカルデア人とするのは野尻抱影が教育を受けた頃の明治の学説であったことを理解しないとこの問題はわからない。 最近は年代を整合させるためにシュメールの羊飼い説も見受けられるが「星座の起源・羊飼い説」はギリシャの古典で語られるカルデア人が占星術師であり天文学の創始者と認識されていて成立した話だがこれはBC7世紀以降のカルデア人の話しである。また,カルデア人のウルのアブラハムが羊飼いであった聖書の物語とシュメール/アッカドとの関係を示すものもなにも無い。したがって羊飼い物語を19世紀の学者達のようにBC2~3千年の昔に設定する根拠は何も無く単純に「間違い」である。なにより野尻抱影も前述のように羊飼い説は「無知」と指摘されないように修正した。 さらに,羊飼い説の最大の間違いはバビロニア以前の民族を「放羊の民族」としていること。シュメール人は灌漑農業で発展した城壁内の煉瓦の家に住む民である。灌漑農業はシュメール以前のウバイド文化の時代にすでに始まっている。たとえば「歴史学の現在 古代オリエント」前田徹他共著 山川出版社(2000)p.18では,『ティグリス・ユーフラテス両川流域にいつ人々が移住したのか,最初の移住者がシュメール人なのか,これらは一括して「シュメール人問題」と称されるが,なお不明な点が多い。前5500年に始まるウバイド文化(前5500~3500年)が現在知られている最古の文化層である。ウバイド中頃から灌漑農耕が本格化した。この新しい生産技術の成功で,従来の天水農耕とは比較にならない能率性と生産性を獲得し,ウバイド文化は北の文化を圧倒して西アジア全域に広がった。』とある。このウバイド文化をひきついだのがシュメールやその後のバビロニアの文明である。ここには星座物語のように砂漠や草原を転々とする放牧民のイメージは一切ない。これはオリエントの歴史の教科書の冒頭を数ページ読めばわかることである。
ただし,牧羊民がいないわけではなくNHK宗教の時間2018年4月~9月のテキストである月本昭男「物語としての旧約聖書 上」(2018)p.73-74には,『農業を基盤に成立した文明地の周辺には,羊や山羊を飼育する牧羊民が集まり,羊毛,乳製品,肉などが都市に供給されました。(中略)楔形文字資料には,牧夫ドゥムジと農夫エンキムドゥがそれぞれの作物を自慢して,女神イナンナに好意を競うシュメル語の作品『ドゥムジとエンキムドゥ』が伝わっています。都市住民は牧羊民について,彼等は家を建てず,墓を造らず,生肉を食べる,と蔑む文書を残しました。天幕に住み定住せず,文明地の周辺で移牧する牧羊民は,文化水準の低い民として都市生活者からは蔑視されていたのです。人類学的調査によりますと,農耕民と牧羊民の比率は七対一ほどであったといいますから,力関係においても,牧羊民は農耕文明社会に対して劣勢の立場にありました。』とある。これからも牧羊民が天文や星座などの文明の担い手ではなかったことは明らかである。また小林登志子「文明の誕生」(2015) p.51ではこれらシュメル人から蔑視された周辺地位域に住む民を,西方のアモリ人,北方のスピル人,東方のエラム人としている。
(注)戸叶勝也訳 H.ウーリッヒ「シュメール 人類最古の文明を辿る」(1998,1976原書)p.20-21では「東方から辿り着いた人々」としている。時代は紀元前4000紀後半(BC3500-BC3000)としている。 関連記事 星座の起源・カルデア人羊飼い説を考える 「カルデア人羊飼い説」が「都市伝説」である理由 野尻抱影著作の中の「カルデア」
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2021/02/ 項目2追加。項目9 ROBERT BROWN原文追記
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