キトラ天文図の北極星



1.はじめに

 キトラ天文図の北極星については、奈良文化財研究所のプログの「古代の北極星はどれ?」に、古代の北極星は帝星(こぐま座β)なので、北極点に近い星から数えて4番目が北極星(=帝星)であるとしている。これは古代の北極星が帝星であったという誤った同定が信じられている典型的な例である。「北極星は天の北極点に近い星」という前提を無視している。この記述の中に『このβ星は、現在の北極星=こぐま座α星(ポラリス)のひとつ前に、天の北極にもっとも近かった星です。』とあるがこれも大きな誤りであり、こぐま座α星(ポラリス)の前に、天の北極にもっとも近かった星は隋唐から宋代の北極星・きりん座Σ1694 (HR4893)である。また図3に示すように、極星を除いた北極4星でも、帝星が天の北極点に一番近い星となったことは周代以降一度もない。

図1 キトラ天文図の内規(飛鳥歴史公園HPより)
 キトラ天文図の北極星は図1で天の北極点に一番近い晉書天文志で「極星」と呼ばれた星(HR4852)である。この星を北極星と呼ばない理由はない。

 帝星を北極星と同定した能田忠亮「東洋天文学史論叢」(1943,1989復刻)p.105も、図2のように古代には天樞(きりん座1694)より右樞(α Draconis)に至る間に星がないと思い、星座・北極の一番明るい星である帝星を同定したのであり、キトラ天文図には北極星とよべる星が天の北極点にある。彼がそう考えたのは彼が使用していた星表『Neugebauer星表(1912)』には明るい星519個の記載しかなかったからである。また当時同定によく用いられていた『Boss星表(1910)』にもHR4852はなかった。
 

図2 帝星同定時の星図

(「東洋天文学史論叢」p.104より)

図3 星座・北極の星々の天極からの距離

 

 
2.キトラ天文図の北極星の同定

2.1 キトラ天文図の星表の観測年代の推定
 キトラ天文図の北極星は図1で天の北極点に一番近い星であるが、この星を同定するためにはこの星図に用いられた星表の観測された年代を推定する必要がある。キトラ天文図に用いらてた星表の観測年代についてはいろいいろな研究者から発表しているが確定していない。星表の年代推定は現代の星表に歳差を加え誤差が最小となる最小二乗法が用いられる。したがって同じデータを用いれば研究者により大きな差がでることはない。研究者により差がでるのは、キトラ天文図の星の位置が不正確なため、研究者によりフィルタをかけ誤差の大きな星を除いており、この除き方により推定年代の差が出ている。この不正確さの原因はキトラ天文図では個々の星座図を2〜3倍に拡大して描かれていて、オリジナルの位置情報を保持していないためである。飛鳥歴史公園のキトラ古墳を説明する表でキトラ古墳の天文図を「星空の様子を精密に描いた「天文図」」、高松塚古墳の星宿図を「星空をデザインした簡略化された「星宿図」」としているが、キトラ古墳天文図も「星空をデザインした簡略化された「天文図」である。」したがってキトラ天文図からダイレクトに年代を推定することはできない。

2.2 同年代の星図によるキトラ天文図の星表の観測年代の推定
 『「最小二乗法による古代星図の年代推定」の発表について』に、「AD400年ごろの観測星表が唐代を通して宋代初めまで参照されていたことが明確になった。」と記載した通り、唐代に描かれた星図を下絵にしていると思われるキトラ天文図でも、その下絵の星図を描いた星表の観測年代はAD400年頃と推定される。

2.3 AD400年頃の星図とキトラ天文図の北極星の同定
 図4がAD400年頃の星座北極付近の星図である。この時代晉書で極星とよばれた北極星(HR4852, 6.33等)が天の北極点の近傍にあった。これがキトラ天文図での北極星となる。この星はAD310年代に天極(赤緯=90°)にあった。

図4  星座北極付近の星図(AD400年,赤緯目盛 2°)

 

3.結論
 キトラ天文図の北極星は図1の天極に描かれた極星であり、現代の星表(BSCv.5)でHR4852とされる星である。同様の理由で高松塚古墳の星宿図に描かれていた北極星もこの星である。

 



2020/03/11 UP
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