中村士著「古代の星空を読み解く」へのコメント



番号参照ページ項目内容
1p.80-84「占星臺の瞻星臺起源説」 明治以来の「占星臺の瞻星臺起源説」が展開されているがこの説の根拠は日本語で読むときに同じ「せんせいだい」という以外はない。
詳細は「占星臺」と新羅の「瞻星臺」についてを参照。
2p.145-147「回回暦星表」と「三垣列舎入宿去極集」の関係  「回回暦星表」と「三垣列舎入宿去極集」は同じ原拠にもとづいた可能性が高いとするが、これは著者が計算した推定年に近いだけで根拠は無い。 薮内清「改訂増補 中国の天文暦法」平凡社 (1990)p.232では回回暦(「七政算外篇」)星表のうちの明るい8星の黄経から推定年代の平均を1365年とし、「Sanjufini Zijの星表」(Epoch AD1363年)ともほぼ近い値になっている。しかし、両星表のなかで黄緯が同じで黄経差が21分の星が11星あり、薮内清が選んだ8星のなかで7星がこの11星に含まれている。 したがって、「回回暦星表」のEpochは1365年ではなく、1363年に21分の歳差の時間=26.25年を加えた1389.25年の近くとなる。一方「三垣列舎入宿去極集」の最小二乗法による推定年代は1360年頃となり2つの星表の年代は30年の開きがある。詳細は回回暦星表 (Epoch1391)の注を参照。

筆者は渋川春海が観測時に参照した星表が「三垣列舎入宿去極集」だったことを特定し「渋川春海の星図の研究」(数学史研究 231号)で発表した。

3p.162-164「格子月進図」の年代推定  「格子月進図」の年代推定に使用する距星データを28個のうち21個しか読み取れず、その不完全なデータをもとにした計算結果から「「格子月進図」はその外見に反してキトラ星図と大差ないことが判明にしたことになる。」としているが、不完全なデータの結果をもとにした考察は無意味である。
詳細は『格子月進図』の星位置データの読み取りについてを参照。
4p.98-102「天象列次分野之図」の年代推定  「天象列次分野之図」の年代推定について、距星の同定が困難な宿や測定値が明らかにおかしいものもいくつかみつかったので星図と碑文の数値が同じ年代と想定し、年代推定を行い「石氏星経」からとられた値と推定してしている。しかし、これは碑文の値による推定であり、星図のもととなった星表の年代ではない。碑文が起草されたのは15世紀の石刻図製作時であり、碑文の値が星図と同じ年代の観測と想定できる根拠は「同じ石に彫られている」以外なにもない。
詳細は『天象列次分野之図』の碑文と星図の関係についてを参照。

また筆者は星図の去極度(赤緯)の最小二乗法による年代推定で、「天象列次分野之図」に使われている星表は「格子月進図」と同じAD400年ごろに観測されたものと推定した。「最小二乗法による古代星図の年代推定」 の発表についてを参照。

5p.186渋川春海の星図の系統  江戸時代の渋川春海が作製した『天文瓊統』の星図を『天象列次分野之図』系統の星図としているがこれは明らかな誤認。渋川春海は『天文分野之図』で中国本土系の星図を取り入れはじめ、『天文瓊統』の星図では『天象図』の影響はほぼ無くなっている。『天文瓊統』の星図は中国古代・中世星図 想定系統図にしめすように中国(本土)系の星図である。  
詳細は『天象列次分野之図』の碑文と星図の関係についての表1を参照。
6p.75-77ブートストラップ法の効果  ブートストラップ法によるキトラ星図の観測年代は信頼区間90%は±40年とし、古典的な標準偏差±120年の約3分の1としている。 また二十八宿ブートストラップ法は宿度や赤緯を個別に解析した場合に比べて圧倒的に狭く、精度の高い区間推定としている。

①まず±120年から±40年へ1/3に狭まったのは、標準偏差から90%信頼区間に変更したことによるものでブートストラップ法によるものではない。
  90%信頼区間(片側) =標準偏差✕1.64✕Root(1/データ数)
       ここで標準偏差:120年,データ数:24
        =120✕1.64✕Root(1/24)=40.1年

②p.77のブートストラップ法のシミュレーションで1度の観測誤差を加えた場合偏差を±18年(90%区間)としている。筆者のシミュレーションでは、緯度方向と宿度方向に最大1度のランダム誤差を加えた場合の偏差(90%区間)は緯度(観測値は0.5度単位):±8.8年 宿度(観測値は1.0度単位):±64.0年となった。この差は、ブートストラップ法のシミュレーションが(緯度+宿度)でおこなっているため、本来なら緯度方向で得られる精度(±8.8年)が宿度方向へ引っ張られて悪くなったと考えられる。したがってブートストラップ法による改善は見られない。

7p.61-78キトラ天文図の年代推定 キトラ天文図の年代推定について以下の結果を掲載している。
  1)宿度          :BC79±450(標準偏差)
  2)去極度         :BC73±280(標準偏差)
  3)位置のずれ(宿度+去極度):BC81±40(90%区間)

1)2)の推定がBC80前後になっている理由。
(バイアスがかかている。)
1)宿度:p.71に記載のように、BC100年前後に誤差3度以下のデータ20個に絞っているため。
2)去極度:p.68に記載のように、BC100年前後に誤差5度以下のデータ17個に絞っているため。

3)位置のずれ(宿度+去極度)の結果について
 全データ25個を使い筆者が計算した結果は以下。中央値は相馬充「キトラ古墳天文図の観測年代と観測値の推定」(2015)図3の25星の結果とほぼ同じ。
   (1)宿度  :BC286±269(90%区間) (相馬:-500)
   (2)去極度 :AD871±100(90%区間) (相馬: 840)
   (3)位置のずれ(宿度+去極度):AD794 (相馬: 760 )
 ずれでは角距離(宿度+去極度) を使うのでAD800年ごろに動き、偏差も去極度の偏差より悪化する。(上記6の2)と同じ)
 しかし上記3)の結果は角距離の場合よりさらに900年近くも過去に移動し誤差の偏差も極端に小さい。同じデータを使い角距離(宿度+去極度)から推定する母集団の平均値/推定区間と無関係の不思議な結果である。
 統計の常識から考えれば2つの分散(宿度と去極度)を加えた場合その和が減ることは無い。【注】したがって推定年の偏差は上記6項2)のブートストラップ法の検証シミュレーションの場合と同じく角距離(宿度+去極度)と同等の去極度による推定より悪い結果が予想される。また中心年も下図のように赤緯の変化率の方が大きいので、経度方向でどのような計算をしようが、赤緯の結果(AD850年頃)に大きく依存するはずである。実際にp.76にある起点になる距星を変える方法で同じデータを使用してバイアスなしに計算した場合AD670年ぐらいの結果となった。

 いずれにしても下図のようにキトラ天文図は誤差の偏差が6度を超えていて、星宿の順序も違う。これは10度程度の誤差がざらにあるということでデザイン画であるキトラ天文図からは数理的な年代推定はできない。

【注】最小二乗法で解析する前提としては加えられている誤差がランダムな誤差であること。従って[宿度]と[去極度]は独立した事象なので、2つを考慮した角距離の解析は上記6項2)のブートストラップ法の検証シミュレーションの例のように結果を悪化させるだけである。キトラ天文図の例では宿度方向の偏差はバイアス無しの場合±269(90%区間)なので、標準偏差では約±800年となり、宿度方向の推定値は意味を持たない。去極度の値もバイアス無しには古墳建造後でありこちらも推定値が外れているのは明確。この外れたデータを組み合わせても意味は無い。
 

8星図星表の年代推定  筆者の最小二乗法による計算結果は「『最小二乗法による古代星図の年代推定』の発表について」を参照。この論説では『格子月進図』や『天象列次分野之図』などを含め、中国ではAD400年頃に行われた観測による星表が宋代の初め(AD1000年頃)まで参照されていたことを明らかにした。 このことからキトラ天文図の原図もAD400年頃の星表をもとに描かれていたと推定できる。  



2021/3/18 Up
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