古代星図の年代推定


     
    1. はじめに

     
    2. 古代星図の年代推定

       不思議なことに,古代星図の年代推定とその系統の研究は行われていなかった。筆者はまず星座の形や星座名などにより年代推定を行い「中国古代星図の年代推定の研究」(2017)で発表した。 さらに,星図に描かれている星の位置の観測年代についての年代推定を行い「最小二乗法による古代星図の年代推定」(2019)で発表した。これらをもとに描いた星図の系統図が以下である。

       星図に描かれている星の位置の観測年代の推定からは,唐代に描かれた星図の原図をもとにすると考えられる『格子月進図』と『天象列次分野之図』の両方ともに400年頃の晋代に観測された星表で描かれていることが判明した。これにより,星の位置から星図の描かれた年代は推定できないことが判明した。(当然のことであるが認識されていない。)
       唐代の星図はすべて晋代の星表もしくは星図をもとにしている。

       
      図1 中国古代星図系統図(濃いオレンジの星図が現存)

     
    3. キトラ天文図の原図の年代推定

       キトラ天文図が発見された後に原図の年代や観測地の推定が行われているが,古代星図の系統の研究も無しに行われたために,その成果は得られていない。星の位置を使った年代推定も行われたが研究者により結果が違った。それはキトラ天文図が装飾壁画なので原星図のデータを保存していないためである。人為的デフォルメが行われている星図のデータを最小二乗法で計算してもまともな結果は得られない。最小二乗法で除かれる誤差は正規分布している誤差のみである。計算者により「計算者が考える誤差の大きいデータ」を除くために結果が違うのである。

       しかし,上の『古代星図系統図』を見れば分かるように,唐代に描かれた星図は晋代に計測された星表で描かれているので,そもそも,星図に描かれている星の位置で観測年を推定しても,晋代であることを確認するに過ぎないのである。逆に,晋代以外の推定年代の場合,その推定は誤りである。観測場所の推定もこの時代に星の観測ができる体制があるのは中国だけなので意味がない。

       キトラ天文図には星座名が書かれていないので,他に原図を探る方法としては星座の形ぐらいしかないが,形もデフォルメされているので比較できる星座は少ない。その中ではっきり分かるのは以下の「翼宿」である。高松塚古墳星宿図の「翼宿」もキトラ天文図と同じと推定される。これを見れば,『古代星図系統図』と同様にキトラ天文図に近い星図は『格子月進図』であることは明らかである。

       このように,基本的な系統図を先に考慮すれば,キトラ天文図があとの時代の朝鮮の星図の影響を受けているというような考えは出てこない。系統図を考えずに混乱を与えているのが『高松塚古墳星宿図』である。「高松塚古墳星宿図の南北逆転復元図で説明しているように,「高松塚壁画館」パンフレットにはいまだに宋代の星図をもとに"復元"した誤った星図が添付されているが,その図が復元図であること自体の説明もない。

       
      図2 中国古代星図の「翼宿」の形の比較 (右から左に星座の形が変化しているのが分かる)

     
    4. 『天象列次分野之図』の原図の年代推定

       キトラ天文図の論文を読むと,高句麗時代に造られた石刻天文図が原図と"信じられている"『天象列次分野之図』をもとに高句麗の影響を論じているものが多いが,図2を見ると「翼宿」の形は全く違うことが分かる。『天象列次分野之図』は図1の系統図にあるように宋代の星図に近いのである。

       実は『天象列次分野之図』の天文学的検証もなにも行われていなかったのである。『天象列次分野之図』(1392)には,星図の他にその由来と,晋書の天文数値が刻まれている。由来には「高句麗時代に天文図の石刻図があったが,中国から攻められたときに川に沈んだ。最近それを紙に印刻したものが献上されたので,それをもとに石刻図が造られた。」とある。この星図を数値的に解析しようとしても,間違いが多く,結局横に刻まれた晋書の値をもとに検討がされ,漢の時代の「石氏星経」をもとにした値とされてきた。したがって,星図を検証したわけではなく,晋書の値を検証したに過ぎない。

       「最小二乗法による古代星図の年代推定」(2019)で星図自体を検証した結果では下記表1のように,距星の赤経は漢代(-18±460年)と出たが,赤緯は472±182年,明るい星141星の赤緯で計算した結果は415±106年となった。この結果は,李氏朝鮮の星図作成者は『天象列次天文図』の元とした高麗伝来の星図は古くないと考えて,晋書の赤経をもとに星図を描いたが,赤緯は原星図のまま写したということになる。赤緯も歳差で動くことを知らなかったのだろう。赤緯による年代推定の計算では原図の星図の星の測定は晋代であり,高句麗より古い時代なのに,それがわからない李氏朝鮮の星図作成者は,碑文に記載の晋書の赤経の値(宿広度)で星図を修正するという無駄な作業をしたことになる。その理由は,『天象列次分野之図』の原星図は高句麗時代のものが突然現れたのではなく,高麗時代に改編を繰り返され作成され,天文観測に使われていた当時の「最新星図」だったからである。『天象列次分野之図』石刻図の制作に関わった権近の祖父権準の高麗時代の墓の石棺の蓋には二十八星宿が描かれているとされている(任正赫編『朝鮮古代中世科学技術史研究』(2014) p.359-360参照)ことからも,そのことは容易に推定できる。

       現代の星図(西洋星図)は春分点を起点とするため歳差により改編が必要になるが,中国の星図は距星の間隔(宿広度)がベースとなっているので,歳差の影響が少ない。なので,距星間の角度である宿広度の変更も漢代から一行の大衍暦(720)まで変更されなかったとされるが,実は大衍暦(720)の観測値も表1のように363±42.9年[90%信頼区間]となり,晋代の観測値である。したがって,晋代から宋代まで宿広度も変わっていないので,晋代の星図も宋代まで変更する必要がなかった。

       渋川春海も『天象列次分野之図』を使い観測し星表や星図を作ったとされてきたが,「渋川春海の星図の研究」(2018) で発表したように,春海はこの星図が観測に使えないほど誤差や誤りが多いことを早々に認識し,中国本土の星図(明/宋)や星表(元)を入手し,これをもとに観測し,星表や星図を作成した。渋川春海の作った星図すべてを『天象列次分野之図』系の星図と説明している論文もあるが,誤りである。『天文瓊統』の星図や星表は中国本土の星図星表をベースにしたものである。例えば『天象列次分野之図』には図3のように明るい28宿の一つである星宿(星座)であるにもかかわらず,距星を取り違えて星座ごと全体が移動しているものもある。この図からも分かるように明るい星の位置も不正確なので春海も観測に使えなかった。

       したがって,キトラ天文図より時代が下る『天象列次分野之図』をその原図と推定する時点で,星図が研究されていないのはあきらかなのである。石刻天文図はもともと文字通り広告塔として建てられるもので,文献批判による検証が必要であるが,そのままま信じられている。
       

      図3 『天象列次分野之図』の取り違えた距星
          灰色の星:『天象列次分野之図』 赤色の星:現代の星表による星の位置

     
    5. 星図の最小2乗法による年代推定

       大崎正次「中国の星座の歴史」(1987)p.256-282は『格子月進図』の赤緯による年代推定を行い28星距星で319±58年(残差1.22°),163星で481±38年(残差1.84°)としている。ただし,赤緯を読む時に赤道の1°を除いているので結果が若干振れている。

       中村士「古代の星空を読み解く」(2018)で年代推定を行っているが,『天象列次分野之図』はやはり碑文にある数値をもとにした推定で参考にならない。またその結果からp.102で,「「石氏星経」より古い二十八宿の位置データは知られていないことを考慮すれば,キトラ星図も「天象列次分野之図」も実質的には,「石氏星経」が元になっていると結論づけて良いと思う。」としているが,これは,上記説明のように,星図の年代推定であるにもかかわらず,星図自体の検証をしていないことによる誤りである。李氏朝鮮の星図製作者の思いの通りの結果である。

       また『格子月進図』については,年代推定に利用できた星の数は距星の28個のうちの21個だった(p.163)としており,これから得られた解析結果に意味はない。大崎正次(2018)p.274には28宿の赤経赤緯も明記されており,読めなかったという理由が全く不明である。『格子月進図』については,『格子月進図』の星位置データの読み取りについてで写真を載せているように,読めない理由は無い。またその不完全なデータで計算した結論をもとに,「「格子月進図」はその外見に反して内容的にはキトラ星図のレベルと大差無いことが判明したことになる」(p.163)としているのは,全く理解できない。「最小二乗法による古代星図の年代推定」の発表についてに掲載した,以下の星図や星表の解析結果をみても『格子月進図』(残差が赤経の0.76°,緯度の1.21°)は『蘇州天文図』(淳祐石刻天文図)(残差が赤経の2.16°,緯度の2.39°)より良い値を示しており,『キトラ天文図』(残差が赤経の2.99°,緯度の5.58°)と比べるまでもない。中村士「古代の星空を読み解く」(2018)の『格子月進図』からの星の位置の読み取り値が誤りであることは,大崎正次「中国の星座の歴史」(1987)の28宿の赤緯の残差1.22°と筆者の計算結果の残差1.21°がほぼ同じであることからも明らかである。中村士(2018)p.163はこの残差を2.1°としており,その差の0.9°は同定誤りを含む読み取り誤差であり,星図の問題ではない。キトラ天文図はあくまで古墳の壁面装飾用のデザイン画であり残差も表1のように5°を越えている。これは10°程度の誤差の距星が多いことを示している。したがって,残差1°の観測用の星図『格子月進図』と比較する精度は全くない。図1のように,『格子月進図』を同定した星図と比べれば分かるように,装飾壁画である『キトラ天文図』は星図とはカテゴリーの違うデザイン画である。『キトラ天文図』の星の位置に実際の星はないので星図とは比べられない。

      その他の中村士著「古代の星空を読み解く」へのコメントをここに掲載しておく。
         中村士著「古代の星空を読み解く」へのコメント

       
         表1 星図星表の観測年の推定(色塗りの箇所はAD400年頃の測定と考えられる)
       


         図1『キトラ天文図』と『格子月進図の同定図』
      オレンジの星等:下層の図は奈良文化財研究所『キトラ古墳天文図 星座写真資料』(2016)PL.3より。
      黄色の星: 『格子月進図』で同定した実際の星を円形図で描いた図。緑色の星は距星。星の位置及び緑の黄道はAD650で計算。
             角宿の距星で位置合わせを行った。

     
    5. まとめ

      古代星図の系統的研究はこれまで行われていなかった。

     



    2021/03/18 掲載
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